札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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■光は暗闇の中で輝いている
12節〜27節では「大祭司」アンナスによるイエス尋問と、ペトロの否認について交互に記されています。一つの舞台上で二つの場面が同時進行しているのです。主イエスが尋問されたその時、中庭にいたペトロもまた「尋問」されたのです。「あなたも、あの男の弟子の一人ではないのか?」と。ペトロの中で反射的に自己保身が作用しました。「違う」とのペトロの言葉の直訳は「わたしではない」です。主イエスがゲッセマネで「わたしである(わたしはある)」と3度告げた言葉に対し、ペトロは弟子としての自分を貫くことができませんでした。
四福音書すべてが、ペトロの否認を記しています。ペトロにとっては「黒歴史」です。決定的な挫折、背きの出来事。しかし、聖書はあえてこの出来事を書き記し、教会は後世に語り伝えました。自己保身に駆られ、主を見捨てる人間の背きという闇の中で、自らを捨てる神の救いが進められていたことが語られているのです。「光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ1:5)。
保身のために自分の主を捨てるという背き。自分にとって有益である限りにおいて神を信頼し、自分にとって不都合となればその関わりを否定する現実。いつまでも自分が力を持っていたい。自分を保ちたい。そうして、いつのまにか自分自身が主となってしまっている倒錯。その点でアンナスもペトロも立場こそ違えど同質であり、またそこにわたしたち自身の姿も見出されます。
■使途不明金の説明責任
連日、政治とカネの問題が報じられています。「政治資金収支報告書の修正で済むのか」「使途が不明とは何事か」「裏金の慣習はいつから続いているのか」「一体何に使ったのか」「説明責任を果たせ」「政倫審だ、証人喚問だ」と、国民は怒りを通り越して呆れ返っています。それを見て、わたしも一緒にイライラしながら、しかし、ふとそこで思ったりするのです。「はて、わたしの神様に対する生き方というものはどうだろうか」と。神様から「あなたの人生の決算書を出しなさい」と言われたらわたしたちはどうでしょう。収支が合わず、修正申告しようものなら「使途不明」と記入する他ないような有様ではないでしょうか。神様によって生かされてあるこの人生を、ただ自分の都合や保身のために浪費し、まるでかすめとるような用い方をしていなかっただろうか。このことについて「説明責任」が果たせるか。「違う」「わたしではない」「知らない、記憶にない」、そんな弁解にもならない言葉しかないのではないでしょか。
実にどれほど神を見失っており、それゆえ自分自身を見失っていることでしょう。神を見失い、己を見失って生きるその危うさに無自覚で、どこまでも自己実現と自己満足と自己保身に執着している。実は主イエスではなく、わたしたちこそ「罪の奴隷」として縛られ、問われている者なのではないでしょうか。
■正しかったペトロの否認
自分自身に重ねてみる時、ペトロが「違う」「わたしは弟子ではない」と否定したその言葉は、実は正しいのではないかと思えます。私たちは「お前もあの男の弟子の一人か?」と問われて、確信をもって「そうです」「わたしこそ主イエスの弟子だ」「主イエスを知っている」と答えられる者でしょうか?むしろ、「違う」3度ならず幾度も繰り返さなければならないでしょう。修正しても修正しきれない自分、その内、その事が痛くも痒くも恥とも思わなくなる自分がいるのです。この自分について一体どう総括することができるのでしょうか。
■責任を負われた主
「わたしには死ぬという仕事がある」(三浦綾子)。人生の総決算、総括です。しかし、本当は私たちにはそれができない、責任を取れないのです。そんな無責任な自分が今日の箇所から示されているのではないでしょうか。その責任を主が負ってくださった。この私をなおも「違う」と否定せず、「知らない」と見捨てず、「わたしはある」「わたしだ」と呼びかけ私を担い背負い、共に歩んでくださったのです。自分を満たすためではなく、「一人も滅びないで永遠の命を得るため」にと自らを捧げてくださったその主イエスの姿が示されています。
■夜明けを告げる
この方において私たちの夜明けが告げられています。「違う」「わたしではない」「知らない」そんな罪の闇の只中で、夜明けを告げる鶏は鳴きました。その場の誰もが聴いたのです。私たちの内にも聴こえるのです。キリスト者である強みとは、「わたしは主イエスを知っている」ということではなく、「主イエスにどこまでも知られ、担われている」というところに立って生きることです。「わたしはある」(どこまでもあなたと共にある)、そう告げる主の声を、繰り返し思い起し、この方に担われ、この方に導かれ歩んでいきましょう。
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