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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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■席は整っています
過越の食事は、出エジプトの出来事を記念するユダヤ人にとって守らねばならない重要な宗教儀式です。当時、過越の食事が行われるユダヤ教の除酵祭(過越祭)は巡礼祭であり、成人男性は皆エルサレムに巡礼し、その地で過越の食事を守りました。
巡礼でごった返している時期、場所も時間も非常に限られていました。主イエスの弟子が不安げに尋ねたのです。「過ぎ越しの食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」(12節)。主イエスは、水瓶を運んでいる人についていくように指示しました。すると、ある建物の二階の広間に辿り着き、そこには食事をするための場所がまるで予約していたかのように整えられていたのでした。この光景を弟子たちは不思議がりながらも、安堵したことでしょう。
本日転入会される方の証し会が行われました。どのようにして主イエスが自分に出会って下さったかを証言されました。ご家族を巡る悩みや不安の中で、しかし神様がその時々を導き備えて下さっていたこと、この主を信頼して歩めば大丈夫なのだと希望をもって前向きに積極的に生きることができるようになったこと。シンプルで、だからこそ真実な証しでした。札幌北光教会の群れに加えられることも、また主が証しされている出来事であります。

■主の配慮の中で
同様に、わたしたちも今日ここに集められているのです。ここは主が皆さん一人一人のために用意してくださっていた教会です。ご自分の歩みを振り返れば、きっと皆が不思議にここに辿り着いたのではないでしょうか。自分の考えだけで行動している内は気づかないことです。自分の不満や願望で心を一杯している内は気付けない恵みです。神様の愛は、独り子イエス・キリストを与えて下さるほど大きく測り知れないものですが、それだけに細やかさには欠けているものでしょうか。いいえ、むしろ、私たちが気付かないような些細なところにも配慮があり、忍耐深く導いて下さる愛です。皆さんがここに辿り着くまでの間に、「水がめを運んでいる人」も「二階の広間を見せてくれる家の主人」も現れはしなかったかもしれませんが、何気ない出会いの中に主の導きがあったのではないでしょうか。

コロナの中、教会は度々集まれない場所となってしまいました。弟子たちが「食事の場所をどうしよう」と慌てたように、私たちも不安に陥りました。しかし、そうこうして今日この席に座っているということは、ちゃんと神様が備えて下さっていたのだということの証しではないでしょうか。「心騒がせるな。あなたの場所はちゃんとあるよ」(ヨハネ14)と告げて下さっています。このわたしを知り、このわたしを愛する神のゆえに、今日、ここに誰一人として招かれていない人はいないのです。「よくやってきた。あなたを待っていた。お帰り。ここに着きなさい」。その招きの言葉が告げられています。一人ひとりのつくべき場所を主は用意して下さっていたのです。空席があるならば、そこに座るべき人の今この時をも主は知っておられるのだと知りましょう。その空席に、今日ここに集えずにいるあの人のこと、この人のことを心に留めたいと思います。

■教会創立126年
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩編133:1)
この詩編を私たちは一年間心に留めて歩んでいます。ただ一緒に座っていることが恵み、喜びだというのではありません。主がこのわたしの歩いてきた人生の喜びも悩みも言葉にならない呻きもご存知下さり、ここでパンを裂き、杯を配り、御自身のすべてを差し出しながら、「わたしがあなたと一緒だ」と、「さぁ、またここからあなたと共に生きていこう、と告げて下さる。それがどんなに感謝で慰め深いことであるかを皆で確かめ、共に喜び、共に励ましあって生きていこうとするところに「なんという恵み!なんという喜び!」という讃美が生まれます。
この信頼と賛美によって、札幌北光教会は126年間歩んで来たのでした。126年前、最初の17人の人々は、皆が本州から夢と不安とを携えて北の大地へとやってきた旅人でした。彼らはここに教会が創られていくことを通して、自分たちの生きる日々を守り導いて下さる神を信頼し、主の言葉に力づけられ、自らの使命を見つめ、希望をもってたくましく、また互いに励まし祈りあいながら生きたのでした。そして、この希望を証しとして次の世代、また次の世代へと受け継いでいったのでした。そして、今日私たちがおり、ここで共に主の備えて下さった恵みの食卓を囲んでいます。そのように神に導かれて生きる恵みを証しする旅人の群れとして、私たちは誰かにとっての名もなき「水がめを運ぶ人」、「二階の広間を案内する人」として用いられていきたいと願います。

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