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>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >イエスと再会したマリア


復活の主イエスは、初めにマグダラのマリアに姿を現されました。二人の再会です。

長く、主イエスの受難と十字架、そして死の、辛い描写が続いてきました。そこには女性たちの姿もあり、イエスが捕らえられ、尋問され、十字架を背負って歩かれ、十字架にかけられていく、その一部始終を傍らで見ていたのでしょう。息をひそめて、これから、次は、どうなっていくのか。彼女たちのドキドキする鼓動が聞こえてくるようです。

マグダラのマリアは、主イエスより7つの悪霊を追い出してもらった女性であると記されています。7という数字は聖書の中では完全数と言われていますから、彼女のこれまでのすべての歩みが困難を極めていた。生まれてからこのかた、貧しさと周りの偏見の目にいつもさらされ、悪霊に取りつかれている者として神からも呪われたものとして扱われ、周囲とのつながりや関係も持つことのできない、本当に孤独で暗闇をさまようそのような人生だったのではないかと思うのです。与えられた人生の中で、自ら選択しながら生きることが許されなかったのではないでしょうか。
「そうなっても仕方がない、自業自得だよね」「努力不足」「もともとの育ちに問題があったから、あぁなるよね」という人生の中で選択肢を持っている人たちの言葉があったことでしょう。様々な原因を彼女に押し付けて、社会にとって不都合なものは、見て見ぬふりができる立場です。私には関係ない、悩んだり、不快な思いをしたり、痛みを何も感じずに生きていこうとできる立場です。彼女の痛みに鈍感である周りの反応というものは、今の時代にも通じるものがあると思います。
その彼女が主イエスと出会ったのです。マリアは自分のすべてを受け入れてもらえたことによって、心身ともに癒され、どれ程主イエスのことを尊敬し、頼りにしてきたことか。

けれども、マリアにとって生きることそのものだった主イエスが、自分の目の前ですさまじい、むごたらしい拷問を受け、傷だらけになって十字架にかかっていきました。自分の人生をかけたその人さえも、結局のところ、こうして死んでしまって、自分の人生、ほんとになんなのか、せっかく前向きに歩もうとしていたところ、何の意味もなくなってしまった、主イエスのため、神様のために、周りの人のために生きたところで、結局死んでしまったら終わりだ。そんなマイナスな気持ちでいっぱいになったのではないかと思うのです。
様々な痛みを抱えながら、マリアは、安息日があけてからすぐ、まだ暗いうちに、主イエスのお墓へと向かいました。主イエスの体に油を塗ろうと出かけたのです。自分の手で主イエスの死を確認し、遺体をひきとり、遺体を守ってこれから生きていこうとしていたのかもしれません。しかし、中には主イエスの遺体はありませんでした。
マリアだけはその場に立って泣いていました。
最後にお会いすることもかなわず、本当にあの方は死んでしまったという事実にうちのめされ、今、空のお墓の前に立ち尽くし、途方に暮れながら、涙を流すマリアの姿が浮かび上がってきます。
今日の聖書の箇所では、マリアが2度振り返ることがよく話されることだと思います。 この振り返りの中に、マリアの視点が変えられていき、主イエスとの再会を確かなものとし、それまでのマリアが捉えられていた絶望、失望、悲しみが希望へと変えられていきました。主の呼びかけによって、名前を呼ばれたことによって、再び真に生きる、新しい命に生かされていったのです。つまり、復活の主に再び出会い、復活の喜びに飛び込んだ振り返りだったわけです。
死んでしまったら終わりだ、前向きに歩もうとしていたけれども、何の意味もなくなってしまった、そんな思いに私たちは陥ります。自分の保身のために裏切ったり、逃げ去ったりする人間の弱さが、痛みが主イエスの十字架によってあらわにされました。こんな醜い私なら、神様は見捨てて当然だろう。反対に、私はまじめに生きているのに、こんなめにあうなんて、神などいない、と思います。そんな人間の思いをはるかにはるかに超えて、主イエスは死という現実を超えて、マリアと再び出会われたのでした。
マリアは、主イエスに出会い、病をいやされ、確かに人生を180度変えられまた、もう一度振り返って主イエスの「マリア」という呼びかけに、「ラボニ」と答えます。「私の先生」「私の主」ということですけれども、マリアの信仰告白です。マリアは、真に復活の主イエスと出会い、歩み出していきます。主イエスと再会したマリアは、主の臨在を確信した彼女の明るい歩みが想像できます。
私たちもこのマリアの姿を通して、主イエスの復活との再会を追体験しています。
死をも超えた主イエスと私たちも出会い、希望をもって、主イエスの呼びかけに応えていきたいと思います。

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