札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光

日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

札幌北光教会/トップお問い合わせ
札幌北光教会/トップキリストの招き平和宣言過去の信仰告白オルガン結婚式・葬儀アクセスマップfacebook
教会案内礼拝案内集会案内牧師紹介/説教納骨堂/クリプト北光貸し会議室

>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >新しい神殿


■キリストという新しい神殿
「宮清め」というより「宮荒らし」。主イエスは犠牲の動物を売る商人や両替商を神殿の境内で見た時、「縄で鞭を作り、動物たちをすべて境内から追い出し、両替人の金をまきちらし、その台をひっくり返し」暴れました。「カナの婚礼」の出来事の直後に記されているだけに、その豹変ぶりに驚きます。主イエスは、売り買いの様子に形骸化した信仰を見たのかもしれません。手軽さ便利さが先行し、神への祈りの家であるはずのこの場所が、商売の場所になってしまっている、打算的で神への畏れがない自己満足的な姿を見たのかもしれません。しかし、だからといって大暴れされてはたまりません。動物が境内から追い出され、お金を撒き散らされた商人や、せっかくの巡礼を妨害された人々は、被害者意識の中でこう言うのです。「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」(18節)。
主イエスは答えました。「この神殿を壊してみよ、三日で立て直してみせる」。福音書記者はこの発言を解説しています。「イエスの言われる神殿とは、ご自分の体のことだったのである」。
つまり、「どんなしるしを見せるのか」と詰め寄る人々に、主イエスは「十字架と復活」というしるし(ヨナのしるし)を見せると答えられたわけです。
やがて、主イエスは、神と神殿を冒涜した罪人として裁かれ、十字架において処刑されたわけですが、その真相は「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)としての犠牲の死でありました。それは神殿の境内で手軽に便利に手に入れられる犠牲でもなく、毎年繰り返し捧げなければならない犠牲でもありません。ただ一度完全に罪を贖う犠牲でした。そうして神は独り子であるイエス・キリストを世に与え、罪を贖うほどに世を愛されたのだという恵みがその死には現れていました。神の愛から出たこの恵みに打算や自己満足はありません。神はこの世が最も罪深い時、神の愛に鈍感な時に、最も良いぶどう酒としてのキリストを与えて下さり、祝福してくださった(1月13日説教要旨参照)のです。
このようにして、人は主イエス・キリストの犠牲により、ありのままで神に出会うことができる者とされました。この方こそ、わたしたちが神に出会う「新しい神殿」となられたのです。

■46年どころではなく
教会は「キリストの体」です。すなわち、イエスが復活され主として生きて働いておられる現実を、わたしたちが互いに礼拝と交わりと奉仕を中心としながら証しするのです。「ああ、ここに復活の主イエスがおられる!」ということが豊かに証しされるのです。その意味で、教会は復活のキリストの体であり、人がありのままに愛の神に出会う神殿なのです。
北光教会の教会堂は、1968年に献堂され今年度50周年でした。そして2011年、老朽化に伴い大規模な改修を実施しました。そしてその業はなお続いています。それはただ建物が古くなったから新しくしましょう、という次元の話ではありません。この改修事業は、そうした人間の都合に基づく事業ではなく、主の働きであるということが証しされることこそ最大の目的です。
神殿を壊せと言われた主イエスに、ユダヤ人が言いました。「この神殿は建てるのに46年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか!」。ヘロデの神殿は大規模な改修工事に46年かかりました。確かにそれは大変な努力であり、誇りであったでしょう。物事が円滑に進捗しないトラブルも様々あったはず。しかし、その結果完成した神殿が、神ではなく自分たちの栄光を映すものとなってしまっていることに主イエスの怒りは注がれました。本当に誇るべきことは、神がこの民を46年どころでなく、長い年月に亘って絶えず伴い、愛し、憐れみ、導き続けて来られたということでした。そして、独り子を与えてまで愛されたということでした。
北光教会の大改修、46年掛かっては大変ですが、その日を迎えたわたしたちが言うべきことは、わたしたちの頑張りや誇りではなく、復活の主が、この教会をご自身の体として生きて働かれ、この教会の歴史の初めからすべての時を支え導いて下さった、そうして神の愛を告げ続けて下さったことへの感謝です。この方をしっかりと証しする改修事業としていきましょう。

前のページに戻る

お問い合わせ北光幼稚園

個人情報保護方針について