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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >神さまなんて いないんじゃない?


イエス様が十字架にかけられて処刑され、葬られて二日後の日曜日、2人の弟子が議論をしながら歩いていました。すると、彼らのところにとある一人がやって来ました。その人は「お互いにぶつけ合っているその話は何ですか」と尋ねます。そこで、2人のうちのクレオパという人が、素性も分からない人に議論の内容を説明します(19節〜24節)。その中で、20節〜21節に注目したいと思います。当時、ユダヤ人の土地は、ローマ帝国という強大な国の支配下にありました。旧約聖書の中には、イスラエルの民が周囲の国々から攻め入られてはその支配から解放されるという出来事が繰り返されたことが記されています。そして、ローマ帝国の時代にあっても、メシアと呼ばれる力ある存在が我々を導いてくれると待望していました。弟子たちはイエス様にその期待を寄せていました。しかし、そのイエス様は十字架にかけられて殺されてしまいました。弟子達はイエス様によるイスラエル解放は失敗してしまったと考えています。しかし、クレオパが説明している相手は、イエス様その人です(15節)。死んだイエス様が甦らされたということは、神さまによるイスラエルの解放はすでに成し遂げられました。解放は、完成したのです。依然としてローマの支配にありながら、一体、何から解放されたのか。イスラエルのことだけではなくて、わたしたち人間みんなが何から解放されたのか。それこそが、罪、なのです。神さまが望んでおられることから的外れなことを考えたり、行動したりする、どうやっても神さまから離れてしまう状態からの解放が完成しました。

復活が起こったといって、この世の中や人々を取り巻く環境がガラッと変わるわけではありません。しかし、人は罪を犯さない自由を与えられました。つまり、神さまと一致して生きる道を選び取れる自分へと変えられたのです。イエス様を十字架にかけるという大いに的外れなことをしてしまった人間に、イエス様を甦らせることで、神さまは御自身の方から和解をしてくださいました。2人の弟子は、自分たちに近づいて話しかけているその人がイエス様であると、気が付きませんでした。わたしたちも含めて、自分はすでに神さまとの関係が回復されていることに、神さまと共に生きる道を選び始めていることに気が付いていなかったのです。

ところで、わたしが学生時代に実習をしていた教会で、ある日曜日、礼拝が終わって、教会員の方々も牧師も帰った後、一本の電話がかかってきました。相談のお電話でした。その方は「もし神さまがいるんだったら、どうして世界から戦争が無くならないんですか」と聞いてこられました。わたしは、「神さまが何を考えているのか、ぼくからは答えられません。本当にすみません」としか言えませんでした。

「神さまがいるならば、どうしてこのようなことが起こるのか」。わたしたちの日常には、そのように問わずにはいられないことがあふれています。その中で、神さまと人との関係で言うならば、人がかかわることで起こる出来事については、人の側が神さまとの関係を蔑ろにしているからだとしか言えないのではないでしょうか。「もし神さまがいるならば」この前提に続く質問に対しては、考えを変えてみる必要があるでしょう。「神さまが何とかしろ」と傍観者の立ち位置に自分はいるのか、「神さまと共に生きる」と当事者の立場に自分はいるのか、自分は一体どこに立っているのかを、自分自身に問うことで、この世に向ける眼差しあるいは自分の生き方そのものが変わっていくと思います。

現在も存在している人間同士の争いにおいて、指導者達は争い自体が目的ではありません。彼らはみんな、平和な世界を築き上げようとして、やっていることです。弟子達は、「あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」と言いました。自分たちの望む平和はイエス様が殺されたことで実現しなかった、と訴えています。

争いごとが続く世の中を見て、神さまは何をしているのか、本当に神さまはいるのだろうか、という問い。その問いについて一つのヒントを提供するならば、人間の側がそれぞれの立場で一方的でしか無い平和を掲げているという事実があります。神さまの存在自体を無いものへと押しやって、本当の平和を知らない人間が勝手に想像する平和を実現させようとしているから、いつまで経っても人は争いを続けるのだと思います。すでに、イエス様の復活を通して、神さまと共に実現していく本当の平和への道が始まっています。自分ひとりの身勝手な歩みから、イエス様と共にある歩みへと少しずつ一致していくのです。

イエス様の命をもって、関係の回復を完成して下さった神さまの願いは何であるか、少しずつでも尋ね求めていきたいものです。本当の意味での自由を与えられたわたしたち一人ひとりは、それが出来るはずです。

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