札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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■神の国を告げ知らせるために
「72人は喜んで帰って来た」。主イエスは従う人々の中から72人を選びだし、彼らを周辺の町や村に遣わしました。人々に「神の国が近づいた」ということ告げ知らせるためです。神の国、それは一人一人の存在が神様から決して忘れられず、かけがえのない者として祝福され、人と人とが互いにその事実を喜びあい、互いに愛しあって生きる世界。それは人間が自分たちの知恵や努力で創り出すことのできない、神が“来たらせたもう”世界です。
聖霊の働きは、まさに、神がこの世界に神の国をもたらす働きです。人と人とが互いに神の愛のもとに一つとされ、神の祝福を互いに分かち合う、その光景が私たちの間に体現されること、そのために神は聖霊において今日もあらゆる現場で生きて働かれます。私たちもそのために用いられる一人一人です。72人が神の国を告げ知らせるためにあらゆる町に遣わされたという話は私たちの話なのです。札幌北光教会という群れが存在している意義もまさにそのためです。「あなたもまた神に決して忘れられていないのだ」と告げ、「あなたもまた神がその独り子を与えるほどに愛している大切な一人なのだ」ということ告げ、互いに神の愛において共に生き、共に神を讃えるものとなるためです。あるいは、命を軽んじ、憎しみ合い、奪い合い、力が振るわれる現実の中で、わたしたちは、ただじっと辛抱して神の国の実現を待つというのではなく、むしろ、神の国の希望を告げ知らせるものとして語り、行動していくのです。
■覚えられ、用いられる喜び
72人は、自分たちが大きな働きをなし得たことを喜び帰ってきました。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」。もはや悪霊など自分たちの敵ではない。「俺たちスゴイ!」なんて自信と高揚感で心躍っていたわけです。ところが主イエスは言われるのです。「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい」。あなたがた喜びとすべきこと、誇りとすべきことは、自分の働きや力の大きさではないというのです。「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」とは、神があなたを御心に留めていて下さるということであり、そのあなたのことを神が用いてくださったということです。神の国は、人間の知恵や努力が創り出す “人工物”ではありません。人間には自分一人さえ救う力がないどころか、どこまでも罪の力に絡めとられてしまうのです。ともすれば“神の国”を求めるのではなく、簡単にこの世的な栄え、誉れに心を奪われて、“自分の国”を求めてしまうのです。神の国、それはただ神がもたらされる世界であり、神はそのためにこのわたしのようなものをも必要として用いられるのです。
主イエスは、21節で「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました」と言われました。それは知恵ある者、賢い者には神様が意地悪をして隠しているということではなくて、人間的に身に着けた賢さや知恵では決して知ることができないということです。それは、地上に己の名を記そうと必死の者には見出せない喜びであります。むしろ「幼子のようなもの」に示されるのです。すなわち、己の知恵や力を捨てたところにおいてこそ、知り得る真理であるということです。パウロにとっての誇りはまさにそこでした。彼は、自分の強さではなく、弱さを誇ろう、苦難をも誇りとしようと言いました。自分を何一つ誇り得ない無力さの中にあればこそ、自分を用いて働かれる主の愛とその御業を知ることができるからです。
■天に記されたわたしの名、地に示されたイエスの名
23節で主イエスは言われます。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがた見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが聞けなかったのである」。預言者も王もぜひとも見たかった、聞きたかったが叶わなかったもの、それは主イエスを見るということであり、主イエスの言葉を聞くということです。もう少し言えば、主イエス・キリストの生涯、とりわけその死と復活を通して世に現わされた神の愛を見つめ、主イエスにおいて告げられている神の愛を聞くということです。イエス・キリスト、この名のゆえに神の前に失われていた私たちの名は天に書き記されました。私たちには、たとえ金や銀はなくとも、この方の名が与えられているということの喜びを知りましょう。そして、世にあって自分の名ではなく、この方の名を告げ知らせること、この方の名によって人を励まし、共に立ちあがること(使徒3:6)、そのために聖霊は働き、私たちを用いられます。そこに神の国は近づき、始まるのです。
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