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>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >“お墓”の用意はできていますか


■明日には引き延ばせない
アリマタヤのヨセフ、彼はイエスの弟子であると共に、ルカによる福音書には、「議員であった」と記されています。彼はイエスを裁いた最高法院の席で、もしかするとただ一人同意しませんでした。それは勇気ある行動でしたが、事態を覆す力とはなりませんでした。イエスが十字架で息を引き取り、夕方になった頃、彼は現れました。日没を一日の終わりとするユダヤ社会ですから、ギリギリになって現れたのです。彼は一日中どこかで葛藤していたのかもしれません。「自分はこの日、主の弟子として何もしないままで過ごすのか?」「今、私が主のためにできることは何か?」。そう考えた末、もはや主イエスが死なれたことは取返しがつかないけれども、せめて真心を込めて墓にお納めしようと決心して現れたのです。日没後は安息日、埋葬も禁止です。明日に引き延ばそうと考えることはできませんでした。最高法院の議員が、極刑に処された罪人の遺体を丁重に墓に葬るという行為は、疑いの眼差しに晒されるリスクの高いことであったでしょう。けれどヨセフは憚らず突き動かされるようにして行動しました。

■“お墓”の用意はありますか
彼のとった行動から聖書は、私たちに問いかけます。「あなたは、今日、この一時を誰のために何のために用いることができるか?」と。アリマタヤのヨセフの行為は、大変立派な行為のようでありながら、しかし、既に自分のために持っていたものを献げたのであって、無いものを無理して新たに用意して、主に相応しいものを献げたというわけではありません。いわば、今自分が持っているもの、今自分にできることを主のために捧げたに過ぎないのです。彼が、一日の最後に現れて、せめて自分になしうることを用意したように、わたしたちには「遅すぎた」と後悔するのではなく、主のために、すなわち隣人のためにどんな用意があるでしょうか。主に愛され、主に贖われ、神の子として新たに生かされたこの恵みに、今日わたしはどう応えようか。このことがキリスト者として私たちが日々目の前にしている課題であり、またそこに幸いがあります。

■主の来られるその日、その時
神は、この世に独り子キリストを与えられました。この世はキリストを迎える何の用意もなかったのです。幼子は飼い葉桶に寝かせられたのです。つまりそれは、この世に対する神の一方的な愛の決断の出来事であったということです。そして神は、この独り子の十字架の贖いによって、罪の奴隷であった私たちを、ご自身のものとして取り戻し神の子としての命に生かして下さった。私たちは、こうして頂いた恵みに目を覚まし、そして日々、この恵みに応えていくものとして備えたい。マタイ福音書25章「10人のおとめ」のたとえ。花婿を迎えるために、ともし火をもって出た10人のおとめたち、5人は予備の油を持っていて無事花婿を迎え入れたけれども、残りの5人は油を切らしてしまい町まで買いに行っている間に花婿がやってきてしまったという話。そこで主イエスは言われました。「目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないのだから」。主が来られるその日、その時とは、終末の再臨ということだけを語るものではありません。主イエスは同じ25章でこうも言われたのです。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ 25:40)。実にこの一人の人において、主ご自身を前にしているということです。「この日、この時」に目を覚まし、用意するものでありたい。

■復活の主と共に
本来、自分が入るはずだった墓に主イエスを納めたヨセフ。ここには主イエスが私の死ぬべき死を死なれたのだというメッセージがあります。ヨセフは、主イエスを葬りながら、古き自分自身を葬ったのです。古い自分自身が主と共に葬られ、主によって新しい命に生かされたことを表わしています。この数日後、ヨセフは、主を納めた墓が空っぽになっており、主イエスが復活したとの知らせを聞いたかもしれません。もともとは自分の墓だったのですから、実際に確かめに走り中をのぞいたかもしれません。空っぽの墓に、ヨセフは古い自分自身が主イエスと共に滅んだこと、そして今、復活の主イエスと共に生きる新しい自分自身がここにいるということを知ったことでしょう。
アリマタヤのヨセフのその後、それはあなたたち自身だと聖書は語っています。今日、あなたがアリマタヤのヨセフです。主イエスと共に新しい命に生きる者として、今日ここから始まる新しい年度、この日、この時、自分になしうることについて備え、用い、神と隣人に仕える歩みを始めていきたいと願います。

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