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レギオンとベルゼブル
先週は、「レギオン」と名乗る汚れた霊が登場しました。レギオンの本性は、人間の利己主義という現実に突き止められます。町の人々は、自分たちの安心と安全を享受し続けるために不都合な者を排除し、墓場に何度もつなぎとめていました。その実態が主イエスによって思いがけず暴露された時、人々は主イエスに「この地方から出て行ってくれ」と申し出たのでした。この出来事は、主イエスがやがて十字架によってこの世から拒絶・排除されたことを想起させます。これはゲラサという一地方の異様で特殊な物語ではなく、この世界全体を象徴しているかのようです。主イエスが、なぜゴルゴタで十字架の痛み苦しみを味わわれたのか、そこに私たち人間の罪、利己主義に囚われた現実が浮き彫りになってくるのです。
受難節の日々は、わたしたち自身の闇に向き合う時です。罪に囚われ、罪に死んでいる等しいこのわたしが、主イエスにつながれ、復活の主イエスと共に起き上がって、神に赦され、「あなたはわたしの愛する子」との祝福をもって遣わされた者として新たに歩み出していくために欠かせない時なのです。
今日の箇所には、「ベルゼブル」という悪霊の名が出てきます。律法学者たちは主イエスを誹謗して、「あの男は、悪霊の頭ベルゼブルに取りつかれている」と言いました。主イエスが、安息日を守らず、汚れた者に平気で触れ、罪人や徴税人と食事をしていることへの批判です。律法学者たちは、イエスの教えと不思議なしるしが人々の間で評判になるにつれて、これまで自分たちが指導してきたユダヤ教社会の秩序が壊され、自分たちの権威と信用も損なわれるという危惧がありました。彼らは、病を癒された人と一緒に喜んだり、互いの存在を祝福して食卓を共に囲むなどということはしません。ましてや人々がこれまで病や差別に苦悩して生きてきたことに関して、自らの当事者性、罪責性を自覚することはありませんでした。

当事者性、罪責性の欠如
律法学者たちは、「ベルゼブル」というレッテルを貼り、主イエスが、一人ひとりの痛みとその存在全体を受け止め、「あなたもまた神の子だ」と祝福し、まことの隣人・きょうだいになったことを、「悪霊の仕業」という別次元の話にすることで、自らに関わる問題から切り離し、当事者意識・罪責意識を全く眠らせてしまっています。彼らから流布されたイエスに対するヘイトは、主イエスの身内の人々にも伝わっていたようです。身内の人々はイエスをナザレに連れ戻すためにやってきました。こうして律法学者だけでなく、最も近しいはずの家族もまた、イエスの働きを理解し参与することから背を向けたのです。そこには自分たちの安心安全に閉じこもろうとする利己性あるいは排他性が潜んでいます。

他者のための教会生活
ここで主イエスにつながって生きるという意味で主イエスに近しい私たち自身が問われています。私たちは本当にキリストの福音に生き、祝福を分かち合うために生きているかということです。わたしたちがお互いをキリストにあって集められた神の家族、兄弟姉妹なのだと理解するということは、キリストのゆえに互いを尊び、祝し、また互いに当事者となって生きていくということです。教会生活は、自分自身の慰めや希望、自分自身の生活リズムのためで終始するものでしょうか。教会生活は、他者のためのという視点によってこそ、続いていくのです。「教会は、他者のために存在する時にのみ教会である」(ボンヘッファー)。同様に、「教会生活は、他者のために存在する時にこそ教会生活である」と言えるのではないでしょうか。
わたしたちは、ここでお互いに神の御心に出会わされているのであり、また神様の御心によってここからこの世へと隣人となるために、当事者としての歩みに遣わされていくのです。コロナによって生活が制限されたこの二年間、「何もできなかった」「自分のことで精一杯だった」、そういう後悔や懺悔があるかも知れません。でもだからこそ、ここからもう一度、共に教会を作っていきたいのです。「あなたはわたしの愛する子」という天からの祝福を分かち合い、注ぎ出していくところに、神の家族、兄弟姉妹の姿は確かめられるのです。
キリストはなんのためにこの世に来られ、なんのために十字架に死なれたのか。私はなんのために愛され、なんのために赦されたのか。何のための教会であり、何のために集められているのか、その意味を見つめながら、神を愛し、隣人を愛する道へと勇気をもって踏み出していきましょう。

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