札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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■汝、殺すなかれ
アメリカでもロシアでも権力者は、聖書とその言葉を都合よく利用し、己の力を誇り、力で威嚇しています。差別と殺戮を繰り広げる声がそのように吠え猛っている時代です。内村鑑三は言いました。「すなわち知る、神はまた地震のごときものにあらず。震(ふる)いて恐れしむるは彼の好みたもうところにあらず。主はまた火の如き者にあらず。焼きて尽くすは彼の求めたもうところにあらず。彼はほえたまわず。ささやきたもう。静寂の中に細き声を聞きて、われらはそのまことに神の声なるを知るなり。」「人は楽園にありて、人の声に耳を傾けて神に聞かんとしない。されども、エリアのごとくにひとりホレブの荒野にさまよいて、あざやかに神の静かなる細き声を聞き取ることができるのである。」
権力者の吠え猛る声ではなく、わたしたちは静かに耳を澄ませたいと思います。
毎年7月上旬の土曜日に、円山墓地にありますレーン夫妻の墓前で礼拝を守っています。街の喧騒から少し離れた木々に囲まれた小高い所にその墓はあります。左側に夫妻の墓が、右側に夭逝した息子さんの墓が立っています。そこに行くと私はいつも思うのですが、その二つの大きな墓石が、モーセがシナイ山で神から授かった十戒が刻まれた二枚の石板のようなのです。このお墓を前に静かに佇むとき、静かにしかし鮮やかに、その言葉が聞こえてくる思いがいたします。「汝、殺すなかれ」。
■絶対平和主義に生きたハロルド・レーン
北光教会員であったポーリン・レーンさんの夫ハロルドは、クエーカー教徒として絶対平和主義に生きました。第一次世界大戦の時、ハロルドは投獄も覚悟して「良心的兵役拒否」を貫き、メリーランド州の基地で農作業に当たりました。戦後は、荒廃したフランスの復興作業に従事し、戦争の被害を目の当たりにしながら、日々食料や医療物資の輸送を行いました。
フランスで戦争が残した悲惨を目の当たりにしたハロルドは、1921年に開かれたクエーカーの年会において仲間たちと共に平和宣言を発表しました。その宣言には、「いまや兵役拒否だけでは不十分であって、戦争の原因を取り除くために全力を尽くさねばならない、そうでなければクエーカーとして良心の呵責に耐えられないはずだ」という強い決意が込められています。この半年後に、北大へ赴任し、寄宿していたローランド宣教師宅で娘ポーリンと出会い、結婚に至ったのでした。そしてこの札幌の地で多くの愛すべき教え子たち、同労者たちとの豊かな交流が与えられたのでした。
1941年12月8日、真珠湾攻撃が行われたその日、レーン夫妻はスパイ容疑で逮捕されましたが、どうしてこの夫妻が戦争に加担するスパイ行為を行ったはずがあるでしょうか。えたでしょうか。懲役判決後、1943年9月に第2次捕虜交換船でアメリカに帰国しました夫妻ですが、戦後再び、この札幌へと帰ってきました。そこでは、自分たちが戦争で味わった悲しみ、恨み辛みは何一つ語ることはありませんでした。
「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(ペトロT 3:9)。このみ言葉はレーン夫妻の生き方にそのまま当てはまります。夫妻は、札幌の地で出会う人々との交わりから平和が作り出されることを信じて、愛と祈りを注いで生き、やがてこの地で召されました。
■二元論のただなかに立つ復活のイエス
「あなたがたは隣人を愛し、敵を憎めと命じられている。しかしわたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しいものにも、正しくないものにも雨を降らせてくださるからである。」
神は、人間を敵と味方として造られたのではなく、皆を愛すべき子として造られました。誰にも太陽が昇り、雨が降るように、神の愛は、誰も独占できず、誰も排除されないものです。その神の愛を互いに分かち合い、共に生きる方向を主イエスは示されました。
「敵を愛しなさい」、相手を敵だと思っている以上それは不可能な話です。「そんなことは綺麗事だ、現実は違う」と一蹴してしまいそうな言葉です。しかし、だからこそ主イエスは私たちに立ち止まって根本的なことを見つめるよう問うているのではないでしょうか。「あなたにとってその人は、本当に敵なのか」と。
愛する道を諦め、自己正当化に逃げ込んでしまう現実、そうして生まれる分断と対立、そのただ中にイエス・キリストは来られました。そして、まさに「敵を憎め」という論理の中で、イエスは十字架に挙げられたのでした。しかし、そのイエスは復活したと聖書は証します。それは、神がこの世を、それでも諦めずに愛し続ける!ここに立ち続ける!という決断の証であります。キリストは、敵と味方、善と悪、そのような二元論に囚われたこの世のただ中に今日も立ち続け、友として呼びかけ続けておられます。吠え猛る声ではなく、この方の声をしっかり聞き分ける者でありたい
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