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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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■友よ、しようとしていることをするがよい
不気味な静けさ漂うゲッセマネ。弟子たちは眠り込んでいました。これから起こる怒涛の出来事など知るはずもなくぐっすりと。いいえ、主が十字架を担って進む時も、十字架の上に挙げられた時も、一体この出来事の奥深く秘められたところで何が成し遂げられたのかを誰も気づかない深い眠りの中で神の御業は行われました。
「友よ、しようとしていることをするがよい」、そう心を開く主イエスに対し、ユダはどうであったか。主イエスに対する期待や落胆、弟子としての葛藤、複雑に絡まり合った感情を自分の中に溜め込んできたことでしょう。最後に裏切りという仕方でしか思いを表せなかったユダを思う時、私たちは果たしてどうであるかを考えさせられます。私たちも主に対して、心開くよりもむしろ、自分の思いを溜め込んでばかり、平静を装いながらも実際は切羽詰まった状況に陥ってしまっていないでしょうか。「友よ、しようとしていることをするがよい」。この言葉の奥に、「今あなたのその思いを開いてくれ、開いて良いのだ」という主イエスの促しを感じます。
主は、心の嘆き、わだかまり、怒りをさえも、包み隠さず告げることを受け止めて下さる方です。間違わない道、失敗しない道を選ぶことではなく、あるいは自分を無にして主に従うことでもなく、主の前に己を明かし、主と語り合う生きた交わりがあるという事実に心の目を覚ましていましょう。

■立場の逆転
最高法院は判決ありき、極刑以外の処罰など念頭にありませんでした。ユダ同様に買収されたであろう人々が偽証に努めましたが立証するには足りません。なかなか思惑通りとはいかない状況に議員たちの焦りと苛立ちが露わになってきたであろう頃、最後にようやく複数の共通する証言を得ることができました。これについて大祭司は弁明を求めましたが、主イエスは黙り続けていました。すると大祭司は質問を変え、単刀直入にこう尋ねました。
「お前は神の子、メシアなのか」。大祭司の質問に主イエスは「それはあなたが言ったことです」と、はぐらかして答えず、かえって主イエスの方から大祭司に宣告したのです。「しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲にのって来るのを見る」(64節)。ここで、裁く側と裁かれる側の立場は逆転しています。再臨と終末に関わる主イエスの言及は、主イエスこそ真に世を裁く権威をもっておられる方であるということの表明です。

■沈黙と無抵抗に込められた神の決意
わたしたちは最高法院の議員ではありませんが、実は同じ様に無意識のうちに、主イエスを被告席に立たせていることがあるでしょう。「あなたは本当にメシアなのか」と追及し、「メシアならば、こうしてみよ」「キリストらしいところを見せてみよ」と試みてしまう。切羽詰まっているのです。それなのに自分が主導権を握っているかのように勘違いして、居丈高に主を責め、試そうとする。
ここで主イエスが沈黙すればするほど、そこで浮彫となってくるのは、イエスの無力さではありません。むしろ主イエスを問い詰めている人間の実態です。どれほど心騒がしく、エゴイズムに満ち、安息を失って、切羽詰まってしまっているか。
本来、主イエスこそが裁き主なのです。それを前に人間の如何なる弁明も無意味です。にも関わらず主イエスは、彼らをただちに断罪するのではなく、ひたすら沈黙し、つばを吐きかけられ、こぶしで殴られ、平手で打たれ、嘲笑われ、無抵抗のまま、十字架へと進みゆかれました。
人間が繰り広げる愚かな罪、それに一方的に裁かれる沈黙と無抵抗の主の姿は、もはやどうすることもできない諦めゆえの態度ではありません。むしろ、その沈黙と無抵抗こそ、神の世に対する揺ぎない、覆されない決意の表れです。すなわち、「わたしはあなたのすべてを引き受けよう、受け止めよう」との神の決意です。

■裏切りのない愛
主イエスは十字架の上に挙げられました。その時、しかし、主イエスはこの世に裁かれたのではなく、この世を裁いたのです。主イエスが十字架で下した裁き、それは「わたしはそのあなたをなんとしても愛しているのだ」という赦しへの裁きであり、受容の決断です。
この愛は決してわたしたちを裏切りません。主はゲッセマネで言われました。「剣をさやに納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる」。剣とは状況次第で文字通り「裏切り」の道具ともなるものです。皆がその場で剣を手に取る中、少なくとも主は剣をとらないのです。裏切りと偽証が溢れる世にあって、主イエスは言うのです。「わたしは裏切らない。」「わたしはあなたを裏切れない」。主は剣をとって自ら滅びる者ではありません。剣を取らず、裏切らず、それゆえ滅びることのない神の愛がその無抵抗のイエスに現れているのです。

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