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マタイによる福音書5章〜7章には、イエス様の説教集が収められています。それも、聴衆にユダヤ人を想定した内容です。そして、39節と44節で共通して、「しかし、わたしは言っておく」という言葉で始めています。そこには「わたしは」にあたる「エゴー」というギリシャ語が添えられています。これから語られる言葉はだれの言葉なのかが強調されます。わたしイエスは、こう言うのだ、と。

39節〜42節で挙げられている出来事の一つ一つは「目には目を、歯には歯を(38節)」という律法に逆行していますが、それだけではありません。ここで使われている単語は、イエス様の十字架刑の場面にも登場する単語なのです。39節の、右の頬を打つの、「打つ」は、イエス様が裁判の席に立つ場面で、「ある者は平手で打ちながら」というところに登場します(26章67節)。40節の「上着」は、ローマ兵がイエス様の服を分け合うとき、「服」と訳されている言葉です(27章35節)。また、41節の、「1ミリオン(約1.5キロ)行くように強いる」ですが、イエス様が十字架を運ぶ途中、兵士達がキレネ人のシモンという人物に十字架を「無理に担がせた」という言葉に、「強いる」と同じ単語が含まれています(27章32節)。最後に、42節の「求める者には与えなさい」ですが、これは、アリマタヤのヨセフがイエス様の遺体を、十字架刑の責任者ピラトに求め、渡されるというところに、「求める」という単語と、返すという強調語と共に「与える」という言葉が使われています(27章57節)。

「わたしは言っておく」この言葉から始まる一連の内容は、マタイ福音書の中に限っていえば、イエス様が辿ることになる十字架の出来事が散りばめられているのではないでしょうか。イエス様が十字架上の死を遂げることで、ここで語ったことが実現していったのでした。後に、マタイ福音書を書こうと思った人々は気付いたのだと思います。「これらの言葉は紛れもない、わたしたちのために十字架に架かった、あの『イエス』の言葉なのだ」と。

43節〜48節では、敵を愛することが教えられています。隣人を愛することは、レビ記19章に出てきます。「敵を憎め」にあたる文言は、近い表現で、ユダヤ教の1つの教派が使っていた文書の中に、「すべての闇の子らを憎むようになる」が考えられます。当時のユダヤ人にとっての隣人とは、ユダヤ人だけでした。隣人愛は、ユダヤ人同士の中だけで完結する愛でした。その愛では、仲間ではない人々に対して排除の力が働きます。隣人愛の実態を、「隣人を愛し、敵を憎め」という一言でイエス様は鋭く批判しています。そして、ユダヤ人にとっての「闇の子」、「敵」を挙げていきます。それは、迫害する者、徴税人、そして異邦人でした。きっと、当時の聴衆は、怒りがわき起こったと思います。しかし、その気持ちにこそ、イエス様が彼等に気付いてもらおうとしたと、わたしは思います。彼等が実践している隣人愛は、完全な愛ではなくて、憎しみや排除の力も混ざり合ったものでした。ただ、完全な愛を実行しているのは、神さまだけです。そして神さまの愛は、十字架上のイエス様に純粋に証しされています。イエス様に暴行を加えるユダヤ人たち、イエス様の上着を分け合ったり無関係な人にも十字架を運ばせたりしたローマ兵、そして十字架につける決定を下したポンテオ・ピラト、彼等はみんな、イエス様の十字架を通して、神さまから赦しを受けています。聖書を読むと、まるで悪人のように描かれる彼等にも、神さまは愛を尽くしているのです。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」という言葉。その通りにしようとすればするほど、愛せない、祈れない自分が明らかになります。しかし、これは個人のことに限られたものではないと、わたしは思います。なぜなら、「敵を愛する」、「自分を迫害する者のために祈る」という言葉の主語は、「あなたがた」だからです。イエス様は徹底して、あなたやわたしの事柄ではなくて、「あなたがた」あるいは「わたしたち」の事柄であると、言い続けています。つまり、同じ被害を受けた者たちが、ひとりでは抱えきれない苦しみを分かち合い、さらには心にわき起こる敵意や憎しみ共有し、慰め合い、励まし合って共に葛藤を乗り越えていくということも含まれています。イエス様は敵を愛する生き方を示しました。それと同時に、その生き方の難しさをわかり合える友の存在も教えてくれています。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい(48節)。」あなた方で、友と一緒に、愛と祈りを実践していきなさい、イエス様はわたしたちを、神さまの方へと、送り出してくださっています。

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