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牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
説教

■ダマスコからの脱出
「回心」を体験し、洗礼を受けてキリスト者となったサウロは、ダマスコで伝道を始めました。この町に来た当初の目的は、キリスト者たちを捕えることでしたが、全く逆のことをし始めたわけです。ユダヤ人は裏切り者サウロの殺害を計画しました。当時ダマスコを統治していたナバテア王国アレタ4世の代官の協力を得てサウロを亡き者にしようとしたのです。窮地に陥っていたある夜、サウロは弟子たちの手によって籠に載せられ、城壁づたいに吊り降ろされてダマスコを脱出・逃亡することに成功したのでした。しかし、「めでたし、めでたし」とは言えません。そこからサウロが向かったのは、なんとエルサレムだったのです。サウロにとってエルサレムは、いまやダマスコ以上に危険な場所なはずです。ユダヤ人たちのパウロに対する憎悪で満ちるエルサレムに向かうことは墓穴を掘るような行動でした。

■逃と挑
二つの漢字にはいずれも「兆し」があります。何かの兆しがあって、そこを通り過ぎる・・・・・ならば「逃」という字になりますし、兆しに対して手を加えて・・・・・いくならば「挑む」という字になります。逃げるべき、挑むべきか、わたしたちもそういう局面を前にすることがあることでしょう。しかし、それはどちらの方が恰好良いかとか得策かという安易な選択の問題ではありません。その兆し、その状況を信仰的に見極めて、主の導きを信じて選択していくという問題です。聖霊の導きというのは、「なんとなく状況に押し流され、気づけば結果的にこうなっていました」というようなものではなく、わたしたちが、様々な情報やしるしに惑わされ踊らされず、今ここに主の臨在と導きを信じ見つめて主体的に選び取っていくという行動の中に働くのです。
暗闇の中、裸一貫で壁づたいに吊り降ろされ、ダマスコから命からがら逃げだしたサウロ。更に危険なエルサレムへと向かって行ったサウロ。そこに物語られているのは、彼の偉大さ、彼の武勇伝ではなく、弱さや恐れの極みの中で、すべては主の御業、と信仰によって見極めて踏み出し、導かれた歩みであったということです。

■使徒たちの「挑」
四面楚歌のエルサレム、なんの手立てもないサウロは、バルナバという人物の仲介を得て使徒たちに出会うこととなりました。この時、使徒たちがサウロに対して何の警戒もなかったと言えばウソになるでしょう。彼を疑い恐れ、彼に背を向けて逃げる、拒むという判断もあり得たでしょう。しかし、使徒たちはサウロを受け入れる選択をしました。それは自分たちの疑いや偏見というものを超えて、彼をキリストにある兄弟として受入れることに挑んだ、ここに主の働きを見つめて彼と向かい合おうとしたと言えるのではないでしょうか。

■教会の基礎
31節には「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」
しかし、29,30節を見ると、サウロは命を狙われており、故郷であるタルソスへと再び逃れなければならなかったのです。ダマスコを逃れ、次はエルサレムを逃れ。「全地方で教会の平和が保ち」(31節)とありますが、本当は一向に楽観視できない危機に晒され続けていたのです。ここから言えることは、教会の平和や発展とは、「平穏」な時代状況、社会状況を意味するものではない、そういうことに寄るのではないということです。何も起こらないこと、何もしないでよいことが教会の平和ではなく、時に逃れ、時に挑みながら、そこで常に共に励まし、祈りつつ主に従っていこう、主の愛に応えてこの命を共に主のために捧げ用いていこう、主の守り導きを信じて福音を宣べ伝えていこうとすることです。その真ん中に、平和の主イエスご自身が生きて働いていておられることが見つめられる時、教会は造り出されていくのです。どんな困難な状況であっても教会は形づくられるし、逆にどんなに豊かで平穏な状況であろうと教会は崩れもするということです。「主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まった」(31節)とあります。どんな状況でも、世を畏れるのではなく、主なる神の真実、主の愛の支配をこそ畏れること、また、この世の表面的・一時的な慰めではなく、聖霊による真の慰めに支えられ導かれること、そこに教会の基礎は固められていくのです。この基礎がなく、ただ人間の意見や好みやというものばかりで教会が形作られ、自己保存のためだけに活動するならば、それは一見どんなに和やかで平穏であるように見えても、何かあれば、砂の上の家のように崩れてしまうのだということを示しています。この話は、この時代を生きる札幌北光教会に深く関わる箇所です。改めて、教会の基礎を確かめつつ、信仰の内に見極めつつ、共に教会を形作っていきたいと願います。

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