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牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
説教

「群衆を解散させてください、そうすれば自分で食べ物を買いに行くでしょう。」
主イエスキリストのもとに集まった多くの人の夕食を心配した弟子たちが申し出ます。数多くの病人を癒すなどして疲れた主イエスのことを、そして夕暮れ時になって空腹の人々のことを心配しての、この弟子たちの意見は真っ当です。しかし主イエスは言われます。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」すかさず弟子たちが反論します。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」・・・・・・・・この言い分は理に適っています。わずかの食糧で数千人の空腹は、どう考えても満たすことはできません。しかし主はたたみかけるように言われます。「それをここに持ってきなさい。」弟子たちが不満ながらも従った結果は、全員の満腹と最初よりも増えた残りの食糧でした。
この奇跡の出来事の重要な事柄は、主イエスと弟子たちと大勢の群衆・・・・・・群衆の「数の多さ」に目を向けることではありません。数千人もの人々の空腹を満たすほどの主イエスの奇跡の力の大きさは、むしろ問題ではありません。いかに多くの人が困窮しているかという数の多さではなく、「あなたは目の前にいる人とどう関わるのか」についての主イエスの問いかけです。わたしたちがこの奇跡の出来事と連なるためには「わたし」と「わたしの前にいる人」との関わりに視点を絞り、主イエスがわたしたちに求める事柄を明らかにしていくことが必要とされます。問題は「一人のわたし」と「わたしの前にいる一人(目の前とは限らず)」との関りです。
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いみじくも主イエスは言われました。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」と。わたしたちはこれに対応して応えるのです。「(わたしたちには)パン五つと魚二匹しかありません」と。
主イエスは、「わたしたち」の抱える大きな問題を示します。わたしたちはいつも自分を「わたしたち」という群れの中に置いて、その中の一人として考えたり発信したりするのです。しかし主イエスは問われます。「あなたは一人の人としてどう考え、どう行動するのか?」
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「わたしたち」の中に自分の身を置くことは、楽で、無難で、安全です。しかし、心得ておきましょう。わたしたちは一人で主の前に立つのです。 主イエスは「一人のわたし」にご自身の務めを委ねられるのです。繰り返しますが、主の前に立つのは「わたしたち」ではなく、「わたし」なのです。

「わたしたち」という言葉は便利です。何かを行うときとき、この言葉が使われます。みんなで協力して行ったこと、みんな一緒に行ったことと考えると、責任が分散するとでも考えるのでしょうか。逆に何かを行わないとき、同様に責任が回避されると考えるのでしょうか。なにしろしなかったのは「わたしたち」なのですから。
イエス・キリストの言葉に出会うとき、それに心打たれ、従うことが正しい道であると気付く、しかし「他の人はどうか」との思いが自分を行動に駆り立てたり阻んだりするのです。わたしたちは、自分が一人ではないことを求め、一人ではないことに安堵するのです。しかしわたしたちは一人なのです。
必要とされて主イエスの働きに用いられる生涯はわたし一人のものです。わたしは何も持っていないに等しい、そのように思えても主イエスの視点はそうではありません。「あなたは持っている」「わたしはあなた自身を、あなた一人をわたしの務めを果たさせるために用いる。」「持っているものを用いなさい」
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わたしたちは主の前において、「一人」なのです。ただ一人で主の前に立つ「一本の木」です。ただし、主に連なる木です。

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