札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光

日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

札幌北光教会/トップお問い合わせ
札幌北光教会/トップキリストの招き平和宣言過去の信仰告白オルガン結婚式・葬儀アクセスマップfacebook
教会案内礼拝案内集会案内牧師紹介/説教納骨堂/クリプト北光貸し会議室

>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教


牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
説教

■信従
4人の漁師が弟子となるこの場面は実にシンプルに書かれています。主イエスに従う決心に至るまでのやり取りや心理的な経過は何も記されません。福音書は、ただ主イエスが声をかけたこと、そして彼らが従ったことに読者を集中させます。つまり、彼らの考えや期待、葛藤は決定的な問題ではないのです。わたしたちがキリスト者になった(これからそう導かれる)時、それぞれの背景とか理由・事情というものがあるにしても、キリスト者とは、主の招きに従って生きること、この点を抜きにしては何にも始まらないのです。キリスト者であることは、「アクセサリー」でも「バックグラウンド」でもありません。主の声に従って生きるその人の生活そのものなのです。

■弟子を必要とした主イエス
そもそも主イエスはなぜ弟子を作ろうと思われたのでしょう。弟子などいなくても、神の子としての働きになんの支障もなかったでしょう。一人で自由に活動した方が、弟子に煩わされることもなく、なにより裏切られることもなかったでしょう。しかし、主イエスはその活動の初めに弟子を作ろうとされたのです。
弟子とは要するに継承者です。主イエスの生涯は、ご自分だけで完結する自己満足のためのものではありませんでした。その生涯において示された神の愛と赦しが、この世に生きる人々を真に生かす命となるために、その言葉と業とを弟子たちに継承されるのです。それは主イエスが弟子たちにおいてその言葉と業を続けられるということです。ガリラヤ湖畔で「わたしについてきなさい」と言われた時、もうそのことが見据えられています。
「インマヌエル」(神は我々と共におられる)この慰めと希望は、「我々」という共に生きる営みの中でこそ見出されるものです。この真実を共に喜びとして生きていく世界が築かれるために、主は今日、この私をも弟子として選び出しておられるのだということを覚えたいと思います。

■「人間」を取る漁師
23節以下には、夥しい群衆が主イエスに出会って癒されたことが記されています。その圧倒的な光景を想像する時、「人間を取る漁師」とは、大勢の人々を一網打尽にすることを意味しているように思えますが、それ以前に大切なことが語られています。主イエスのもとに集まった大勢の人、それは病のゆえに罪人の落胤を押され、社会からはじき出されていた人々です。命の居場所を、人間性を奪われていた人々です。「人間を取る漁師」とは、人を人として救い出すということ、人間性を奪われた者が、神に愛された一人の人とされていくということです。
主イエスがヨルダン川で洗礼を受けた時(先週の説教)、天が開け、声が聴こえてきました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適うもの」(マタイ3:17)。一人の人間として生きたキリストの上にこの言葉が告げられたことは、一人ひとりの存在に神の祝福の言葉が注がれていることを指し示しています。主イエスのもとに夥しい人々が集まって来た時、この人々の上にも天は開き、主の声は響いていたのです。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適うもの」。主イエスに従っていく歩みとは、この天の声を共に聴くものとなっていく歩みなのです。

■「わたしについて来なさい」
弟子としての覚悟や熱意や能力や理由は二の次です。それは決定的な問題ではない。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ福音書15章16節)、このことこそ決定的なのです。主イエスに招かれた4人の漁師は、その時点では何一つとして全く分からないのです。しかし、ここから主イエスによって人間が人間とされ、神に愛され祝福されたその命が回復されていく言葉と業を目撃するものとされ、彼ら自身がその主の働きの器とされていったのでした。私たちもそうなのです。何もかも分かってから洗礼を受けた人なんていません。振り返ってみるならば、誰もが全く思いがけず洗礼に至ったのであり、そして全く思いがけずして主イエスの弟子として生きるように招かれたのです。こんなわたしが「人間を取る漁師」として、主イエスの働きに用いられていくのです。そこに戸惑いがないはずがない。でもわたしを招いた方は、途中で「もうお前はダメだ」と見限ることはしません。「終わりまで共にいる」(28:20)と約束されるのです。
今日、主の弟子として招かれている私たちです。「これはわたしの愛する子」と一人ひとりに告げられる祝福を共に聴き、その喜びを、希望を分かち合って生きる隣人として生きるよう遣わされていくのです。「わたしについて来なさい」。この年、わたしたちは自分の生活の最中に呼び掛ける主に従って生きましょう。

〜 2021年バックナンバー 〜

〜 2020年バックナンバー 〜

〜 2019年バックナンバー 〜

お問い合わせ北光幼稚園

個人情報保護方針について