札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光

日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

札幌北光教会/トップお問い合わせ
札幌北光教会/トップキリストの招き平和宣言過去の信仰告白オルガン結婚式・葬儀アクセスマップfacebook
教会案内礼拝案内集会案内牧師紹介/説教納骨堂/クリプト北光貸し会議室

>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教


牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
伝道師 野田 祥(のだ しょう)
説教

■ぶどうの木礼拝
本日は、ぶどうの木礼拝です。普段礼拝に集うことの難しい方を覚えて、また可能な方はお招きして共に守る礼拝です。加えて、地震の影響で、やむを得ず集えない方がおられます。不安と困難の中になお置かれています。しかし、だからこそこのぶどうの木礼拝において、また聖餐を通して、わたしたちが互いにキリストにあって一つとされていることの恵みと使命とを確かめ合いたいと思います。

■キリストの「命」
「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また隣人を自分のように愛しなさい。この二つの掟にまさるものない」。
主イエスにとって、これは全存在をかけて伝えようとしたメッセージでした。神を愛すこと。それは神によって命造られ、神に知られ、愛され、必要とされ、生かされている事実に立ち返って、国と力と栄とをこの方に帰していくことです。そして、隣人を愛すること。それは神の愛が自分と同じくこの人にも注がれているのだという事実を畏れ、互いに尊び仕え合うことです。
教会に生きるキリスト者は、キリストの十字架の死、そして復活の命に結び合わされていることを信じる群れでありますが、キリストの「命」に結ばれるということは、常にキリストの「命(めい)」を受けているということです。なんどでも主の赦しに立ち返りながら、新たに靴ひもを締め直して歩み出していく道、それが主の日の礼拝という営みでしょう。
今日、わたしたちは、この大変な時に関わらず、いやだからこそ礼拝に集まった一人ひとりです。主がその名を呼んで招き集めて下さった一人ひとりです。神の愛を信じ、今、神の愛の注がれているところに思いを向け、信仰のヘルメットをかぶり、み言葉の懐中電灯で照らされ、聖霊という水を給水して、新たにそれぞれの場所に遣わされたいと思います。

■「ダビデの子」問答
当時のエルサレムは、ローマ帝国支配への不満が高まるに比例して、かつてのダビデ王のようにイスラエルに栄光と力をもたらすメシアの到来が期待されていました。そして、主イエスは、「ダビデの子、ホサナ!」との群衆の熱狂的歓呼の中、エルサレムに迎えられたのでした。 ところが主イエスは人々に問われるのです。「どうしてメシアがダビデの子なのか」。つまり、「メシア=ダビデの子=力と誇りと繁栄を復興してくれる方」という定式そのものの間違いを指摘し、律法学者らの強欲な願望が投影されたメシア像を暗に批判したのです。
今、この震災で、キリストはどこにおられるのか。わたしたちがいかに己の繁栄を追い求めながら、大切なことを見失ってしまっているか、キリストの苦しみの欠けた所(コロサイ1:24)を忘れてしまっている現実がないかを問われているように思います。

■律法学者とやもめ
主イエスの律法学者への批判は更に増します。長い衣を着て権威的に振る舞い、広場で挨拶されること好み、祈りを利用して民の尊敬を集めんとするその虚飾、貧しいやもめにも律法を振りかざして献金を貪り取る醜悪さ、神をも隣人をも愛していないエゴを暴露し、彼らに注意せよと言われました。
それに対比して、主イエスは一人のやもめを指し示しました。彼女が神殿で捧げたレプトン銅貨2枚は全財産でした。この箇所は献金を奨励するために用いられることがあります。しかし、彼女の献金行為の背後には、律法を振りかざして献金をむしり取る現実があるのです。そういう搾取の現実があったということを抜きにして、この話を美談にはできません。
すべてを捧げたやもめに主の眼差しは向けられています。いや、実に彼女の姿に主イエス御自身が示されているのです。繁栄や誉れや力とは真逆の彼女の姿に、十字架の主が示されているではありませんか。「ダビデの子」にまさる「神の子」としての栄光をさえ捨て、有り余る中から一部をではなく、愛を注ぎ尽くして十字架に死なれ、世の執り成しとなった真のメシア、主イエスです。この一人をも自分のように愛し担うメシアです。

■ぶどうの木の教え
人は神の似姿です。「似姿」という言葉を「生き写し」と言い換えてみます。一人ひとりは、神がご自分の生き写しのように、心を尽くして愛を注ぎ造られた存在です。「隣人を自分のように愛せよ」との掟は、誰よりもまず神がわたしたちにそうしてくださったことを語っているでしょう。その失われることも変質することもない恵みが、移ろい変わる一時の繁栄を追い求め、互いを軽んじてしまうわたしたちの今日が、主の限りない愛と忍耐によって支えられています。
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」まことのぶどうの木につながるわたしたちの間で、この言葉が静かに響いています。

〜 2018年バックナンバー 〜

〜 2017年バックナンバー 〜

〜 2016年バックナンバー 〜

〜 2015年バックナンバー 〜

〜 2014年バックナンバー 〜

〜 2013年バックナンバー 〜

お問い合わせ北光幼稚園

個人情報保護方針について