札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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先週、「今年度の宣教方針学習会」が行われました。さまざまな困難はあるかもしれないけれども、私たちで教会を豊かにしていきたい、交わりを深めたいという前向きな話合いをすることができたことは、本当に幸いでした。私たちの社会が平和でなければ、また私たちの教会の中が平和でなければ、このような話はできません。
創世記では、平和な世界で暮らしていたアダムとエバが知識の木の実を食べたことによって二人はエデンの園にいることができなくなりました。それはどういうことかというと、神のように私が善悪を知る、とは「私」が主語になってすべてを判断するようになった、つまり、自己中心的な視点で物事を見始めた、ということです。そこには、「わたしたち」という複数形での考えはありません。「私たち」の世界では、自分だけが得をし、自分だけが幸せになりたいという自己本位な考えは存在しないでしょう。どうすれば人のために尽くすことができるのか、他者の幸せを思い、そのために生きる者となります。
聖霊降臨の出来事とは、弟子たちが散り散りになって、「私」という一人だったところから、再び集められて、「私たち」としての歩みが始まったときでもあったのではないでしょうか。それがまず一つの聖霊の働きです。
主イエスは弟子たちに忍耐強く話をし多くの奇跡を行いますが、主イエスの語る意味を理解することができません。けれどもそんな弟子たちが聖霊降臨の出来事を経て、ガラッと人が変わったように、死ぬことさえ恐れずに、主イエスを証しする私たちとなっていくのです。ここまで弟子たちを変えた、聖霊の働きとは何だったのでしょうか。
それは、14章25節にあるように主イエスが生きているときに、誰もが理解することができなかったことを、聖霊は、主イエスが語った内容をもう一度思い出させ、主イエスの伝えたかったこと、本当の意味を分からせる、それが聖霊のもう一つの働きでした。
主イエスは、聖霊のことを弁護者と言っています。弁護者というギリシャ語は、パラクレートスという言葉で、助けぬし、慰め主、励まし手、という豊かな意味を持っていて、聖霊が弟子たちにとって力強い伴走者であることを示しています。聖霊は、弟子たちと一緒にあって、彼らに働きかけ、彼らが主イエスの生涯、十字架と復活を通して、神様の愛と真理を深く理解することができたのでしょう。そして、聖霊の働きによって弟子たちが強められ、神様の愛と希望のしるしとして、派遣されていき、平和を作り出す一人ひとりとして送り出されていったのです。それが、主イエスが残してくださった平和であります。
幼稚園のK先生は、年長の担任をしたことによって子どもたちを通して、子どもたちなりに関心を持って世界を見つめている。そして子どもたちは大人よりも偏見がない素直で熱い思いを持っていると話してくれました。そして、これから未来を歩む子どもたちが世界の仲間と手を取り合いながら、平和をつくる担い手となって「自由」を選び取る力をつけてほしいと願っていると。嬉しいことも、そうではないことも経験できるのは、「自由」だからこそ。神さまの自由の中で沢山の経験をしていくことは神様の恵みだから、と。私たちは沢山の賜物、恵、それぞれ得意なことを生かす力などを神様からいただきながら、自ら不自由を選び取ってしまうことがあります。
幼稚園の子どもたちでさえ、自分にはどうせできない、私には無理、私には関係がない、こうでなければだめ、と言って新しいことや課題への挑戦をあきらめ、自分から挑戦するという自由を選び取れないことがあります。それは私たち大人にとってもそうです。自分から枠の中に入り込み、または枠を作ってしまって、自ら自由を選び取れないのです。
聖霊の働きは、「私」から「私たち」に変えていく力があります。私たちの心を神様へ向かわせて、隣人への愛で満たします。私だけのために、全てを独占したいと生きて来た人々が他者のために生きるようになり、お互いに相手のために生きるとき、この世界は平和で豊かな美しいところとなります。お互いに与え、与えられる関係はお互いを豊かにさせます。
聖霊の働きは、神様から与えられている自由を選び取る力があります。神様から与えられているたくさんの恵み、得意なことを生かす力、国や文化、人種の違い、一人ひとりの違いを神様が造ってくださった豊かな美しいものとして、それらを愛する自由を選びとる力があります。
そして聖霊は、主イエスの生涯、十字架の救い、復活の主イエスについて、神様の救いの真理について、私たちがそのメッセージを想い起すことができるように働きます。
主イエスは、31節でこう言われます。「さあ、立て。ここからでかけよう!」と。聖霊降臨には、「派遣」という意味もあります。聖霊は私たちをこの世界に遣わして、家庭や職場、地域で愛と希望のしるしとなるように助け、励ましています。私たちは、この主イエスの言葉に促されて、聖霊の働きを信じ、一人ひとりが聖霊の働きに導かれて、それぞれの場へ遣わされていきましょう。
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