札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光

日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

札幌北光教会/トップお問い合わせ
札幌北光教会/トップキリストの招き平和宣言過去の信仰告白オルガン結婚式・葬儀アクセスマップfacebook
教会案内礼拝案内集会案内牧師紹介/説教納骨堂/クリプト北光貸し会議室

>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教


牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
説教

■再現されなかった奇跡
35節で主イエスは群衆にこう告げました。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」。
この言葉は、あのサマリアの女性に告げられた「この水を飲む者は誰でもまた渇く。わたしが与える水は決して渇かない」という言葉を思い起こさせるでしょう。水がパンになっているだけで本質的には全く同じことが語られています。主イエスは、自分を探してやってきた群衆のために、パンと魚の奇跡を再現されることはありませんでした。この奇跡を再びおこなっても、明日はまた空腹になるのです。水がめの水(4:7)も、病のいやしも(4:48)、パンと魚も(6:11)、いずれも一時の救いでしかない。これを追い求める限りその人は飢え渇き続けなければならないのです。そうではない永遠の命に至る食べ物がある。わたしが与えるまことの食べ物がある、その食べ物を得るために働きなさいと主イエスは言われるのです。そしてその働きとは、神がお遣わしになった者を信じることだと言われるのです。

■その身をパンとして
生きるためにパンも水も健康も必要です。その人がその人として認められ祝福されて生きる価値と権利がある。しかし、それらがすべての人に安定的に行き渡り、皆が健康で安全に暮らせるシステムが上手く機能すればそれで幸福は達成されるのか、平和は達成されるのかと言えば決してそうではないわけです。それらは生きる手段ではあっても命の土台そのものとはなり得ません。最も切実のことは、命の営みをその存在そのものを根底から、どんな時も絶対に支えてくれる土台があるのだということです。幸福や平和のようで、それは一見・一時に過ぎず、決してごまかしの効くものではないのです。
直前の箇所(6:16〜)には、真っ暗な湖の上で弟子たちが強い風に煽られ、激しく揺れる舟に悩まされるという話があります。その光景は、まさに人間の現実を物語っているのです。根底は相変わらず激しく揺れ動いているのです。主イエスの平和への問いがここにあるように思います。
主イエスは言われました。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(35節)。「命のパンであるこのわたしを味わえ。わたしを遣わした方の愛がここにある。あなたのすべてを支え真に生かす命がここにある」と言われるのです。「さぁ、共に生きよう。主は飢えた者に、その身をパンとして与えて下さる」(讃美歌21- 419)。「その身をパンとして与えてくださった」、わたしたちは聖餐においてこの恵みを味わい確かめます。その味わいは一時のものではありません。一時だけわたしを愛してくれたけれど、結果として見捨てられたではないか、裁かれたではないかというものではない。神はあなたのためにならば独り子を与えてしまわれたのであり、十字架の死をもってあなたのすべてを赦して下さったのです。その愛は死をも貫く永遠のものであることを復活によって示されたのです。不思議な奇跡というならば、これこそが奇跡なのです。この見えない愛の現実によって生かされている自分を知る時にこそ、その人は本当の意味で生きている、その人は本当の平和を生きていると言えるのです。そして、この見えない事実に支え続けられてこそ、見える平和は創り出されて行くのです。

■何よりもまず神の国と神の義を求めなさい
毎年このように平和聖日を守っています。それはつまり、今年も平和が実現していないということでもあります。しかし、何度もいのちが脅かされ、大地が汚され、和解がなく、平和は打ち壊されたかのように見えて、失望や諦めが心を覆うような時にも、神が人間との間に打ち立てられた和解と平和は揺らぐことがないということ、神は決してその愛を諦めたりなさらないということ、その生きた事実に立ち返らされ、呼び起こされていくのです。命のパンは今日も与えられてわたしたちを満たしているということを確かめたいと思います。
毎週、派遣と祝祷の際に主イエスの言葉を読んでいます。「神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものは皆加えて与えられる」。「何よりもまず神の国、神の義を求める」。この順序は入れ替わらないのです。キリストによって与えられた神の国、神の義という揺らぐことのない事実をわたしたちが互いの内に信じ確かめる時、「これらのものは皆加えて与えられる」との約束は、互いの必要を分かちあい、満たしあって生きるところに確かに実現していくのです。5千人の給食の奇跡の物語は、特定の場所で僅か数時間の間に起きた不思議な出来事として読むものではなくて、この世界全体を神の愛の草原(6:10)として、大きな時間の流れの中で繰り広げられている現在進行形の出来事として受け止めたいと思うのです。この世界にはなおも断絶があり、対立があり、差別があり、飢餓があるけれども、その只中で、あそこでもここでもパンが裂かれ、魚が分かち合われる奇跡は起きているのです。それは今も続いている、広がっているのです。そして、わたしのところにパンと魚が渡されていることを知るならば、神の愛という草原にしっかりと座り、感謝しつつ「さぁ、共に生きよう」とそれを隣人へと分け与えるのです。

〜 2020年バックナンバー 〜

〜 2019年バックナンバー 〜

お問い合わせ北光幼稚園

個人情報保護方針について