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牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
伝道師 野田 祥(のだ しょう)
説教

差別に対してキリスト教はどのように戦っていくのか、という学びを深めていきますと、「キリスト教そのものへの批判は十分だろうか」という基本に立ち返らされます。キリスト教自体にも、差別する側に立ってきた歴史があります。聖書の記述を根拠にして、民族差別や性差別を、差別とは認めず当然のこととしてきました。イエスはキリストであると告白する宗教が、そのイエス様を蔑ろにしてはいないかという自己批判を絶えず繰り返す必要があります。実はキリスト教ほど、イエス様の言葉や行いを大切にしてこなかった宗教はないのではないか、そう思わされるのです。

13節と14節で、イエス様は「人の子」という言葉を使いました。これは、イエス様が日常会話で使っていたアラム語では、「人間」を意味する表現です。しかし、旧約聖書の中では、もっと豊かな意味を込めて使われることもあります。たとえば、ダニエル書7章で「人の子」が使われる際、「人間のような者が本当に国を治める時代が来る」、とされています。「人の子」という言葉をわざわざ使うということは、「人ならざるものの子」がいるということです。ダニエルが見た幻には、いろんな獣が現れます。それも、現実には存在しない姿形をした、恐ろしい獣です。それらが何を意味するのかというと、見た目は人のようでも、その内面は血に飢えた獣のように暴力に溢れている、ということです。人の心を失った獣がこの世を支配している、それがいまの現実なのだと、ダニエルは悟るのです。

イエス様は自分自身が「人の子」として、つまり、姿も心も人である、真の人として、この世にやって来たと言います。イエス様が生きていた時代の権力者たち、ローマ帝国は、人の姿をした獣であるとイエス様の目には映っていたことでしょう。平和、平和と言いながら、その実体は暴力に満ちています。だれかの血が流れることを常に欲し、人の命を軽んじる猛獣がいたるところで歩き回っています。暴力を振りかざして成し遂げようとする平和は平和ではなくて、ただの抑圧です。相手を力でねじ伏せて息苦しい状態に押さえつけているだけです。そんな中で、真の平和をもたらすのが、姿も心も人である、「人の子」なのです。イエス様は、獣のような権力者たちに苦しめられていた人々に、人として生きることを伝え、また、その人々と共に現状の厳しさを訴えていったのです。

しかし、イエス様のそうした言動は、批判の対象となっている支配者からすれば、やはり、不愉快な存在です。支配者たちはこれが面倒な暴動へと変わってしまう前に何とか鎮まらせたいと思うようになりました。その手段こそ、十字架刑です。イエス様は、支配者たるローマ帝国の法律によって裁かれて、殺されたのです。「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない(14節)」とあります。おそらく、イエス様は自分が十字架に磔にされて高く掲げられることは、必ずそうなる、という意味で言っているのでしょう。イエス様自身は十字架刑という処刑方法によって、人間としての命を踏みにじられました。イエス様は、死の瞬間までも、これが世の本当の姿であると、はっきりと示しました。
イエス様の十字架上の死は、結局は人間が獣に負けた、そのように思えるかもしれません。しかし、イエス様の全ての中に、つまり、イエス様の生きる姿から最期の瞬間にいたるすべてに、神さまが世を愛しておられるということが現れているのです(16節)。神さまは、世に対して、あなた方は救われなければならないという気付きを与えました(17節)。獣から人間へ、偽りの平和から真の平和へと変わっていかなければならないと促しました。

しかしながら、イエス様が、善い方へと変わっていくきっかけを指し示してくれているのに、それでも簡単に変わっていかないのが現実です。自分は暴力を振るっている、加害者であると認めることは、人間には中々難しいものがあります(20節)。しかし、それを乗り越えて光の方に歩み出す時、本当に人として生きる道が示されるのではないかと思います。それは、隣人を、自分と同じ人として大切に接する生き方です。神さまによって造られた人と人とが、暴力でもって滅ぼし合うのではなく、愛の絆に結ばれて、共に生きていくのです。

わたしたちはイエス様から、複数の神々の中でもなくて、獣が支配する中でもなくて、真に人を生かす神さまの中であなたの言葉や行いは為されただろうか、と問われています(21節)。暴力や差別のない世の中を目指すには、まだまだすべきことがたくさんあります。まずは、自分の中にある暴力性や差別心をもっていることを認めるところから始まっていくと思います。そこから、自分が人として大切にされるとはどういうことなのか、そして目の前にいる人を大切にしていくとは、どのような関係づくりが必要かが、見えてくるのではないでしょうか。

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