札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光

日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

札幌北光教会/トップお問い合わせ
札幌北光教会/トップキリストの招き平和宣言過去の信仰告白オルガン結婚式・葬儀アクセスマップfacebook
教会案内礼拝案内集会案内牧師紹介/説教納骨堂/クリプト北光貸し会議室

>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教


牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
説教

主イエスは御自身の十字架が近づいたとき、部屋を借り、そこで弟子たちと共に食事をされました。「最後の晩餐」と言われている出来事です。「この世から父のみもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して,この上なく愛し抜かれた」・・・・「ヨハネによる福音書の理解に立てば、「この世」というのは主イエスに敵対する世界です。しかし、それ故にこそ父なる神の愛されるところ、主イエスにとっては歩みを共にしてきた弟たちや多くの人々がいるところです。この人たちを残していかなければならない場所です。主イエスはこの世を去る最後の時にあたって、最も深い愛のかたちを示そうとされました。その具体的なかたちが「足を洗う」という行為でした。

「食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた」。この記事はそのときの様子を具体的に手に取るようにわたしたちに伝えています。この所作は、しもべが主人に、あるいは主人の客人に行うものです。なので、ペトロの番になったときに彼はたまりかねて主イエスに言ったのでした。「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」。ペトロにとって、これは耐え難いことでした。当然です。このようなことがあって良いはずがない。主がしもべのようになって弟子の足をお洗いになる。これでは全く逆ではないか。しかし主イエスはペトロに言われるのです。「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」。これは主イエスの行動に一貫して流れる脈流です。神の子の真理は、人としての行動を通して、わたしたちに示されるのです。そしてその真理は、その時点では人間に理解し得ないことがしばしばです。しかしやがて時がくれば(ずっと後であっても)明らかにされていくのです。このときまだその真理を理解し得ないペトロは、主イエスに訴えかけるのでした。「わたしの足など、決して洗わないでください」。これは、ペトロにとっての精一杯の抗議です。しかもその内面の本質は、自分の思いが逆転することにたいする抵抗です。それだけにこの抵抗は、主イエスの真理についてまだ本当に心の目が開かれていない弟子たちの、さらにはわたしたちの想いを代表して明らかにしているのです。さらに主イエスは言われます。「もしわたしがあなたを洗わないならあなたはわたしと何のかかわりもないことになる」。
主イエスによって足を洗われない者は、主と何の関係もなくなる、全く無関係になるというのです。さらに主イエスは、弟子たちのとまどいと驚きとがまだ覚めやらぬうちに再び食卓に戻り、あらためて言われます。「主であり師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」。
今日の聖書箇所に続くところですが、これが主イエスの教えの中心であり結論です。このことこそが主イエスがこのときに至るまでに示された(すべての)教えの中心であると言っても良いほど重要な教えです。

「わたしたちは互いに足を洗い合わなければならない」。それは私たちが互いにしもべのように「仕え合う」ということです。わたしたちは他者の足を洗うことなど、考えも及びません。それどころか他者を従わせ、思い通りに扱い、優位な関係を望み、自分を押し通すことに懸命です。一方で、他者に足を洗ってもらいたいとも考えていないのです。自分の足くらい自分で洗うと思っているのです。主イエスが示されることはこのようなわたしたちの姿と全く逆のことですが、その主の教えに倣ってその通りにしようというだけではまだ足りません。問題は、「足を洗い合いなさい」との言葉の奥に隠されている真理にわたしたちが気づけないままでいることです。このとき主イエスの目の前には十字架の出来事があるのです。十字架を前にして主イエスはわたしたちの足を洗ってくださるのです。わたしたちがイエスというお方をキリストと信じ、従っていく理由は、主イエスがわたしのために十字架にかかられたということだけです。これ以上のことも、これ以下のこともありません。
「わたしが世に来たのは、仕えさせるためではなく、仕えるためである」と主イエスは言われました。主イエスの十字架、そしてそれに先だって行われた洗足の出来事は、主イエスの圧倒的な愛を受け、それによってわたしたちが互いに仕え合い、神の愛を証しして行く者となるために必要にして充分な出来事なのです。主イエスの十字架を前にしての一週間、このことを心に刻みましょう。

〜 2021年バックナンバー 〜

〜 2020年バックナンバー 〜

お問い合わせ北光幼稚園

個人情報保護方針について