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牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
説教

■「さぁ来て朝の食事をしなさい」
主イエスのペトロに対するその呼び掛けには彼のすべてを受容する赦しと愛があります。用意されていた炭火にあたりながら、ペトロは、あの夜、大祭司の館の中庭で炭火にあたっていた時のことを思い出したかもしれません。「違う、わたしではない」、自分が主イエスの弟子であることを三度重ねて否定したことを。しかし、主イエスはペトロを問い詰めることもなければ、十字架の痛々しい傷跡を見せながら恩を着せるように赦しを告げることもありません。ただ、共に朝の食事をすること、そこに主イエスの愛は表されていました。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」、主イエスのその決意というものにペトロは触れました。ペトロは、この後、悩み躓くその度に、この日の食事を思い出しながら、イエス・キリストと共に生きていったことでしょう。
復活の主イエスが魚を焼き、パンも用意し、弟子たちに仕えて下さった。礼拝はこのことを追体験するひと時です。復活の主が今日も活きて、私たちにパンと魚ならぬそのみ言葉の糧を私たちに与えて下さるのです。これを私たちは互いに分かち合い、これによって交わり、互いに仕え合い共に生きていくのです。

■「わたしを愛しているか」
食事が終わると、主イエスはペトロに尋ねました。「わたしを愛しているか」。食事が終わる、それは私たちに置き換えれば「礼拝が終わる」と言えるかもしれません。み言葉を分ち、礼拝堂を後にし世に出て行く時、あるいは一週間の歩みにおいて、主はわたしたちに同じく繰り返し尋ねられるのです。私たちが語る言葉、その行い・振る舞いを尋ねられるのです。「あなたはわたしを愛しているか」。初めのうちは意気込んで告白できるのかもしれません。「あなたを愛しています。あなたに愛された者としての生き方をわたしはしていきます」と。しかし、徐々にその言葉は曇ってきます。やがて「違う、わたしではない」と言ってしまう弱さが再び現れてくる。湖の中に飛び込むかのように、主の前から姿を隠そうとする自分が現れてきます。
三度目に問われた時、ペトロはこう答えました。「主よ、あなたは何もかもご存知です」。これはある意味、良い意味で主に対して観念した、開き直ったそんな言葉だと思うのです。
「主よ、あなたは何もかもご存知です、いくらあなたを大切に思っていても、わたしとは、どんなに弱く、卑怯で、その場を取り繕ってやり過ごそうとする哀しい人間であるか。あなたに会わせる顔なんて本当はないのです。それでもあなたはわたしのことを何もかもご存知の上で、愛し、赦し、私を信じ、必要としておられる。湖の中に飛び込んだ私をこうして招いてくださった。あなたの愛の中で生かそうと何度でも招いてくださる」と。

■連れていかれる
主イエスは言いました。「あなたは若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし年を取ると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れていかれる」「わたしに従いなさい」。
食事(礼拝)が終わり、ここから出て行く時、それはわたしたちが自分の行きたいところではなく、かえって行きたくないところへ、もっといえば、自分が傷つくことを恐れ、直視して自分の無力さを痛感することから目を背け、二の足を踏んでいる、まさにそのところへ勇気をもって出かけて行くということではないでしょうか。「わたしに従いなさい」と呼び掛ける主に両手を伸ばし身を委ねて、連れていかれる、そこで主がなさる御業を目撃し証していくことが求められています。
「主の導き」とは、実のところ「主に連れていかれる」ということではないでしょうか。自分が希望する方向ではないところへ。あのヨナのように。「従いなさい」との言葉に応えて生きることです。私たちはそれを避けたいと思います。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」「まず父を葬りにいかせてください」(マタイ)。「鋤に手をかけてから後ろを顧みる」のです。主の導きなど本当は願っていない自分がいるのです。ここでペトロがした告白、「主よ、あなたはなにもかもご存知です」、これをわたしたちの告白としてここから出かけたい。
主が、このわたしをどのように用いて働かれるのか、両手を主に伸ばして初めて、それは見えてくるのです。その時、「あの人はどうするか、この人はどうしたか」、それは問うべきことではありません。「あなたは、わたしに従いなさい」。そうあなたを見つめ、あなたにおいて働かれる決意の主がおられるのです。

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