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>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >からしだね  >2024年7月8日


21歳の新島襄(1843-1890)が国禁を犯して函館から脱国したのは1864年7月。上海でワイルド・ローヴァー号に乗り換え、喜望峰周りでボストンへ。船会社船主のハーディー夫妻の援助を受け、アメリカで9年間を過ごしました。この滞在中に、岩倉使節団がアメリカを訪問し(1872年)、思いがけず新島に白羽の矢が立てられ、通訳として使節団に加わることになりました。使節団には、黒田清隆が企画した女子留学生派遣事業に応募した女子児童5名が随行しており、その一人が、この度の新紙幣の肖像に選ばれた津田梅子(1864−1929)だったことは有名です。新島はワシントンのランマン邸に身を寄せていた梅子にしばしば会いに行っています。というのも、新島は梅子の父・津田仙とは脱国以前からの仲であり、脱国者である新島と江戸に住む親元との手紙のやりとりを幕府の目を盗んで中継してくれた恩人だったからです。遠い異国で不思議な導きを感じたことでしょう。

改宗を禁じられた上で渡米した梅子でしたが、禁教令が解かれた(1873年)ことを知ると、その年には自らの意志で受洗しました(8歳)。弟の病死に際しては、母・初子に天の神による真の慰めについて記した手紙を送ったそうです。

新五千円札の肖像画に津田梅子が選ばれたこともそうですが、札幌北光教会のルーツといえる新島襄創設の同志社は、今年創立150周年です。キリスト教禁教の時代にアメリカへ渡り、聖書に触れ信仰に導かれた二人への想いを深めるに良い時ですね。

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