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牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
説教

◆預かったタラントンを用いる
「タラントンのたとえ」。この話のポイントは実にシンプルです。すなわち、それぞれが神様から預かっているタラントン(賜物)を日々大切に用いて生きることを勧めているのです。わたしたちにはそれぞれ神様から預かっているタラントンがあるのです。それは自分の才能、知識、技術、富、健康、体力、時間、人への思いやりの心、祈りの心…。あるいは、神様から託された「務め」とも言い換えられるかもしれません。それらはどれもすべてその人が神様から頂いた、託された恵みであり、その人が神様の愛によって生かされていることの証しであると言えるでしょう。この神様の愛の証しであるタラントンを、どう用いて生きるのかが問われているのです。結果的にどれだけ増やしたか減らしたかというような損益は問題ではないでしょう。ですから「多くをなそう」と焦る必要もなければ、反対に「自分にはこれだけしかできない」と卑下する必要もありません。ただ神様から受けた愛を、土の中に埋めてしまうような生き方ではなく、精一杯に用いることが求められているのです。

◆神不在の世界で、神と共に
ところで、このたとえ話において、主人は旅に出かけました。つまり、主人は「不在」となったのです。これは私たちが生きている現実を表していると思います。「神不在」、それが私たちの目に移る世界の現実です。戦争があり、抑圧があり、弱い立場の人々が、命が、人としての尊厳が全く蹂躙されている、災害や事故という不条理な悲しみが襲う。聖書に書かれているような「すべてを守り導く神」「苦難を取り去ってくれる神」がおられるならば、どうして今こそ助けてくださらないのか。神はどこにもおられないのではないかという不信や絶望が満ちているのです。「我が神、我が神、なぜわたしを見捨てたもうたか」とどんなに叫んでも呻いても、そこに返答はないのです。
ナチス抵抗運動によって捕らえられたボンヘッファーはその獄中書簡の中で述べました。「神の前で、神と共に、我々は神なしに生きる」
「神の前で神と共に」と「神なしに生きる」は矛盾した言葉のようです。「神なしに」という言葉をどう理解したらよいのでしょうか。ボンヘッファーが言おうとしているのは、一つは困った時に颯爽と現れて助けてくれるような神、祈れば戦争をただちに終わらせ平和を与えてくれるような神、災害を無くしてくれる神、差別や事故や病気を無くしてくれる、そんな人間に都合の良い、ドラえもんやスーパーマンのような便利な神などいないということ、そのような考えからはそろそろ目を覚まし、卒業して「成人した信仰」を持ち、一人の人間として主体的に責任的に生きるということです。
「神なしに」。しかし、まさにそこで「神の前で、神と共にある」ということが同時に深く見つめられるのです。彼は続けてこう述べています。
「我々は、神の前で、神と共に、われわれは神なしに生きる。神は御自身をこの世から十字架へと追いやられるにまかせる。神はこの世においては無力で弱い。まさにそのようにして、彼はわれわれのもとにおり、また我々を助けるのである。キリストの助けは彼の全能によってではなく、彼の弱さと彼の苦難による」

キリストは、飼い葉おけに生まれ、この世の力に追いやられるままに十字架死なれました。罵られ、痛めつけられ、裸にされたその姿は全く無力のです。弱さの極みです。しかし、キリストはまさにその十字架の弱さの中でこのわたしを、この世を引き受け担われたのです。神がどのようにして私たちと共におられるのかというと、圧倒的な力強さにおいてではなく、むしろその無力さ、貧しさ、惨めさ、苦難の姿においてなのだということを彼は見つめました。人間が中心となり、「神などいない」と豪語する驕りや反逆や不法に満ち、これを繰り返す世界の中で、あるいは「神などいないではないか」と絶望する人々の中で、しかしまさにそこに神は共におられすべてを引き受け担っておられる。「我々は、神の前で、神と共に、神なしに生きる」、この信仰が彼をまことに強く生かしました。

◆天の国はここに
目に見える世界の現実は、「神不在」です。一体「天の国はどこにあるのか」、「どこにもないではないか!」との嘆き、あるいは神を侮る現実が満ち溢れています。しかし、そこに「天の国はここに在り」「神共に在り(インマヌエル)」という真理を信じ見つめつつ、自分に託されたタラントンを主のものとして責任をもって、特に他者への愛をもって日々用い、やがてお返ししていく生き方が問われています。そこに天の国に生きる者の命の輝き、幸いはあるのです。

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