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牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
説教

◆神、共に
主イエスの宣教は、孤高の歩みではありませんでした。主イエスは、ご自分と共に歩む人々を求められたのでした。弟子たちは、特別な才能を備えていた人々ではなく、ごく平凡なガリラヤ湖の漁師たちであり、時折、主イエスから厳しく叱責を受けることもあれば、仕舞には主イエスを見捨てて逃げ出してしまうような脆さを多分に抱えた人々でした。けれども、主イエスは、そんな彼らの存在を喜び、必要とし共に歩まれたのです。「インマヌエル」(神は我々と共におられる)ということは、神はわたしを見捨てず絶えず共にいて、支え導いてくださるという慰めだけではなく、神が、私たちの只中におられ、御自身の働きのために私たちをも“巻き込み”、用いられるという意味でも受け止められます。礼拝堂へと集うことは、慰めと安らぎを得るためだけではなく、ここで自分を主に献げ、主の御業のために共に遣わされていくためであるということを意識したいと思います。

◆なんのための自由か
「信教の自由を守る日2・11札幌集会」が今年も北光教会で行われました。かつてこの国は、戦争遂行のために個々の思想信条を取り締まり、国家神道のもとに国民を管理統制しました。そのような体制下では、一人ひとりの命や権利を主張することは許されず、ただ国を愛し、国のために身を献げることが強要されました。近年のこの国の動向は、同じ轍を踏んでいるかのようです。その先に決して平和はないということを、私たちは聖書の御言葉と歴史の証しから見極めなければなりません。わたしたちの守るべき大切な「信教の自由」は、そして「キリスト者としての自由」は、果たして何のためにあるのか。主イエス・キリストに招かれ、キリストに従って歩もうとする私たちは、統制・監視・排除、隣人となり、他者と分かち合って生きること、そうして足元から平和を造り出していく道を見失ってはならないのです。そして、これを単なる理念ではなく、行動をもって証ししていく必要があります。主イエスは、この脆い私たちをも呼び、選び出しておられることを知りたいと思います。ペトロたちは「すべてを捨ててイエスに従った」とあり、彼らの一大決心の物語のように思えますけれども、実は、彼らを用いて働こうとされる神の決断こそが何よりも先行しているのです。

◆しかし、お言葉ですから
「沖に漕ぎ出して網をおろし、漁をしなさい」と呼びかけられたペトロ。
夜通し苦労して一匹も取れなかったという徒労感に包まれながら、ようやく網の片付けをしたところだったのです。「そんなこと何の意味もない」「どうせ無駄だ」という言葉が出かかったかも。それは、私たちも何かと口にしてしまいやすい臆病な言葉です。憶測で「意味がない」と先に答えを出してしまおうとするのです。ペトロは応えました。「しかし、お言葉ですから網をおろしてみましょう」。このチャレンジなくしては見出すことのできない奇跡があるということを福音書は豊かに語っています。

◆「どうせ」ではなく「どうせなら」
ある日突然ALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受け、そこから少しずつ身体の自由が奪われていった一人のキリスト者が、生かされてある自分の使命とは何かを見つめ、同じALSで悩む人々を支えるための様々な活動を展開しておられます。この方は言われます。「why not? やらない理由が絶対のものでないならば、やってみれば?」「『どうせ』というのではなく『どうせなら』と言おう」。「人に誇示し、人に認めてもらうためのガッツポーズではなく、自分自身の内にファイティングポーズを秘かに持っていればよい。」これらは信仰に裏打ちされた言葉だと思います。
ペトロは、後片付けの最中であったところに、深い落胆と諦めと失望の中に、明日を思い煩う中で、主イエスの言葉を聴きました。どうせ徒労に終わるのでは、失敗するのでは、との戸惑いの中から、網をおろしました。これはわたしたちの話です。み言葉によって変えられていく、み言葉によって導かれていく、その豊かさへと私たちは招かれています。

◆もう一艘の舟
ペトロは、魚で一杯になった網を引き揚げる際、もう一艘の船に合図して、手を貸してくれるよう頼みました。その結果、二艘の舟が魚で一杯になり沈みそうになった、とあります。主の働きを共に担い、共に御業を目撃したもう一艘の舟があったのです。「あなたも来てくれないか」。私たち札幌北光教会は、「もう一艘の舟」として呼ばれています。

◆実現したみ言葉を見つけに行こう
主イエスはナザレの会堂で告げました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(4:20)。捕らわれている人は解放され、目の見えない人は回復し、圧迫されている人は自由にされる。しかし、そんな恵みがどこに成就されているのか。目に見える状況はなおも変わらず、ローマ帝国が支配し、律法が支配、裁きと排除で溢れているのです。しかし、主イエスは、この言葉は実現したと確かに宣言されたのです。信仰の歩みとは、キリストにおいて既に実現している、始まっているその恵みを見つけていく旅です。その恵みを知らせ合い、これを分かち合って共に生きていく旅です。

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