札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子



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◆思い違い
「7人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。こうして七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。」(20節以下)
イエスとサドカイ派による復活を巡る問答です。サドカイ派の人々は、律法(申命記25章)に書かれてある、いわゆる「レビラト婚」の規定に基づき、極めて特殊なケースをもってイエスを試しました。この世で7人の兄弟と順に結婚し、誰との間にも後継ぎを生まなかったこの女性は、復活した時誰の妻となるのか、長男の妻か?最後に結婚した夫の妻か?それとも全員の妻になるのか?このような問は、いつまでも推測の域を出ない、正解がないものです。正解がないのは、「復活」という前提自体が間違っているからであり、「死者の復活」という思想は思い違いであることをイエスに認めさせたいわけです。
ところが、イエスはサドカイ派が、律法の文字に囚われ、その枠内ですべての物事を説明しようとしていることに対し、「あなたたちこそ思い違いも甚だしい!なんと偏狭でスケールが小さなことか!あなたたちは、聖書の豊かさや神のダイナミックな力をちっとも分かっていない!」と言い返したのです。
◆アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である
「後継ぎ」が必要とされるのは、自分自身がやがて死ぬ運命にあることを知っているかrあです。しかし、復活の時、つまり、死という前提がもはや無くなったところでは、後継ぎとか、そのための結婚は必然のものではないはずです。だから、イエスは「めとることも嫁ぐこともなく」と言い、「天使のようになる」と言われました。天使とは、死を超えた永遠性を象徴しています。こうして、主イエスは、「復活したらその女性は誰の妻になるのか」などという、いつまでもこの世の律法に捕らわれた偏狭な考え方を退けます。女性は男性の所有物ではない、人はそれぞれ、ただ神によって創られ、愛された「神のもの」であり、その一人の命に対する神の愛は、死の力をもってしても決して妨げることはできない、ということを語られたのです。
更に、イエスは、「死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか」(26節)と問いました。モーセが召命を受けた時、神は御自身のことを「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であった」とは言われず、「〜である」と現在形で告げられたことは、彼らが神の前になお生きていることを意味しているというわけです。こうして、サドカイ派が論拠とする律法を用いて復活を論証しました。
◆空っぽの墓。生きている者の神
マルコによる福音書はこの後の16章で、十字架で死なれた主イエスの復活を記しています。しかし、復活したイエスがその姿を現すという直接的な描写ではなく、イエスを葬った墓が「空っぽ」になっていたという間接的な描写です。「空っぽの墓」が物語っていることを受け止めたいと思います。それは空間的な空っぽではなく、「死そのものが空っぽになった」ということです。
十字架で死なれ、布にくるまれて墓に葬られ、その入口は巨大な石で塞がれました。それは決して揺るがぬ死という現実、無情な死の支配を意味しています。しかし、その死こそが転がされ、空っぽにされたのだということを福音書は伝えます。すなわち、イエス・キリストこの方において示された神の愛は、死に支配され封じ込められるものではなく、死を支配し、死を無とするのだということです。
「復活が分かる」ということは、死人が生き返るそんな不思議な現象があるかないかという次元の話では決してありません。それでは復活は、いつまでも分かりません。空っぽになった墓の中で、女性たちは、ひどく震えあがり、正気を失い、恐れに満ちて、誰にもこのことを話さなかったと福音書は伝えています。それが死をも超える神の絶対の愛に触れた者の反応だったのです。「復活が分かる」「復活を信じる」それは、死をも支配する神の愛に飲み込まれるということに他なりません。
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」と、主イエスは言われました。神の愛によって生きている、生かされている。それほどの愛を受けるには私という人間は到底相応しくない、それこそ死んで儚く消え失せるべきこの私のようなものを、しかし、神は、キリストの死をもって贖い取り、神の子としてくださった。これは愚かな「思い違い」でしょうか。いいえ、ここにこそ、神がキリストにおいて示された決断があり、私たちをまことに生かす福音があるのです。
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