札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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◆天上の友名簿に見る「教会」
「教会」とは、建物のことではなく、主イエス・キリストへと呼び集められた人々の群れのことを指す言葉です。先に召された方々と、この世に生かされてある私たちには、主イエス・キリストにある交わりがあります。すなわち、わたしたちは、この「天上の友」名簿に「教会」そのものを確かめるのです。
◆愛されたものとして、愛に生きる
「教会」を生きている私たちは、何を見つめて歩んでいくのでしょう。今日の聖書の箇所は「互いに愛し合いなさい」と呼びかけています。主イエスは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」、これに尽きるのだということをおっしゃいました。教会の営み、そこに生きるわたしたち一人ひとりの営みは、いつも、ここに動機づけられ、また繰り返しこれを問われ続けるものです。神への愛と、隣人への愛、この愛を生み出し働かせる原動力は、「神の愛がわたしたちの内に全うされている」(12,17節)という事実です。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(10節)。日本語に訳される前のギリシャ語では「ここに愛がある」が初めになります。それに続けて「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛されたのだ。そして、わたしたちの罪の償いとして御子を遣わされたのだ」という順序なのです。「ここに愛がある!」「ここだ!」と注意をぐっと引き寄せて、御子イエス・キリストの十字架の死の出来事に現わされた神の愛を語っているのです。わたしたち人間の拭い難い罪の現実が、キリストこの方において赦されたのだということ、そこで神はなんの見返りも求めず、理屈も条件もなくただ一方的な決断として人間を愛し赦されたのだということ、ただこの愛のゆえに、あなたは今日生きるを得ているのだというが語られているのです。
◆逝去者たちの代表
「ここに愛がある」と、十字架に死なれたイエス・キリストが示されます。逝去者記念礼拝において、わたしたちがまことに記念すべきは誰でしょうか。名簿に記され、写真が飾られている逝去者の背後にある、イエス・キリストの名をこそ見つめたいと思います。それなしに、逝去者記念礼拝を守ったことにはならないのだとさえ思います。イエス・キリストこそ、すべての逝去者たちの代表者であり、やがては同じく死を迎える私たちの代表であり、そして、それゆえにキリストは、わたしたちにとって復活という希望の初穂です。この方のゆえに、わたしたちの生きるも死ぬるも、すべてが愛に満たされ、命に満たされていることを思いつつ、この愛と恵みとを映し出していくことが、教会に生きるわたしたちには求められています。
◆この世でわたしたちもイエスのように
神に愛された者として、他者を愛する者となれ。互いに愛し合う者となれ。今日、わたしたちは、この呼びかけの前に立っています。私たちが「教会である」「キリストの体である」と言えるのは、このことを志すところにおいてです。
17節で、「この世でわたしたちもイエスのようである」と語られています。イエスのように歩んでいくのです。それは、一つは、利己的な人間のあり方、自己目的化してしまう生き方との闘いなのだと思います。自分の立場とか特権にしがみつく生き方ではなく、他者のために自分を差し出していく歩みです。それは恐れを伴うことでしょう。「愛には恐れがない」(18節)と言われますが、これは実際にはわたしたちが愛することにおいていかに恐れやすい者であるかということの裏返しだと思います。私たちは愛することにおいてこそ、自分の愛の無さを恐れ、あるいは自分の愛が無為にされ、欺かれてしまうのではないかと怯え、疑ってしまうのです。しかし、そこでこそ、あなたの内に全うされている神の愛を力とせよと促されています。まるで神の愛など頂いていないかのような不平不満にがんじがらめにされた偽りの生き方ではなく、「わたしの恵みはあなたに十分である」ということを思い起して、自らを与えられたイエスの歩みに従っていくことが促されています。「これが、神から受けた掟です」(21節)と最後に告げられています。すなわち、「神の愛に捉えられたあなたには、愛さないという生き方はもう無いのだよ」と告げられているかのようです。とは言え、わたしたちは、肉においてなおも罪を犯さずには生きられない者です。愛に背き、愛を恐れ、愛につまずくのです。そうである限り、わたしたちは礼拝に生き、主の赦しと励ましを何度も受けながら、主の御心に適う道を尋ね求めながら、歩んでいくのです。多くのこの先達がきっとそのようにして導かれ歩まれたように、私たちもここから歩み続けていきたいと思うのです。
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